目黒区・ケルネル田んぼ(駒場野公園)
よみもの

13110 / めぐろく

東京都

目黒区

明治の試験田だった田で、いまも稲を作る。

ケルネル田んぼ|駒場野公園

Photo by Aw1805 (CC BY-SA 3.0)

01 / 洋館と和館

洋館と和館をつなぐ渡廊下に、洋風から和風へ切り替える意匠。

目黒区の洋館と和館
Photo by Kachonomiyatei (CC0)

旧前田家本邸は、洋館が昭和4年(1929)、和館が昭和5年(1930)に竣工した、駒場公園内の建物です。区は、調理室から食堂へ料理を運ぶリフトなど当時の最新技術を駆使したと記し、渡廊下に洋風から和風へ切り替える意匠の工夫を見ます。

  • 洋館 昭和4年
  • 和館 昭和5年
  • 2013年 重要文化財

02 / 仁王像

黒漆塗りの仁王像は、書付などから永禄2年の制作と分かる。

目黒区の仁王像
Photo by Suikotei (CC BY 4.0)

碑文谷の円融寺の仁王門には、黒漆塗りの金剛力士像が一対ある。区は、像内の書付などから永禄2年(1559)に鎌倉扇谷の仏師大蔵法眼が制作したと記し、江戸時代に碑文谷の黒仁王として親しまれたといいます。同じ境内の本堂は国の重要文化財です。

  • 永禄2年(1559)
  • 都指定 昭和44年
  • 本堂は国重文

03 / 鷹場の役

鷹狩りの獲物を飼う役の家が、駒場野の近くに移り住んだ。

目黒筋の初代綱差は、キジ捕りの名人といわれた野津田村(現・町田市)の農民、川井権兵衛です。享保3年(1718)に下命を受けて駒場野の近くへ移り、将軍の遊猟に備えて野鳥を飼いました。役は代々川井家が継ぎ、その文書は区の有形文化財(古文書)です。

  • 享保3年(1718)
  • 初代は川井権兵衛
  • 区指定 昭和59年

空から見た目黒区

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2019年6月〜11月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

区役所は、中目黒駅から歩いて5分。

  • 人口29万人規模

区役所は上目黒二丁目の総合庁舎にあり、最寄り駅は東急東横線・東京メトロ日比谷線の中目黒駅で、下車5分と区は案内します。東急バスの渋71系統は、渋谷駅から「目黒区総合庁舎前」まで行き、下車1分です。

住んでいる人
288,088人
19952020

2015年より +3.8%

243,100 → 288,088人

面積
14.67km²

うち可住地 14.67km²

2024年

世帯数
155,715世帯

1世帯 1.9人

2020年

家賃(借家の平均)
13.0万円
▸

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院9/診療所348

人口1万人あたり 12.4

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 43園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの目黒区35.642°N 139.698°E
大阪目黒区
目黒区の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

7.0km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

目黒区は、こういう町です。

  1. 01駒場野公園の水田「ケルネル田んぼ」は、明治14年にドイツ人ケルネルが土壌や肥料を研究した場所で、区は農学発祥の地と呼ぶ
  2. 02旧前田家本邸は昭和初期の洋館と和館で、渡廊下に洋風から和風へ切り替える意匠の工夫がある
  3. 03円融寺の仁王像は永禄2年(1559)の制作と分かり、鷹場の綱差を務めた川井家の文書も区に伝わる

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

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