Tonya kinenkan.jpg
よみもの

23233 / きよすし

愛知県

清須市

青物問屋の様式を伝える家が、移築復元された。

西枇杷島問屋記念館

Photo by Bariston (CC BY-SA 4.0)

01 / 道標

東の面には「にしは」、西の面には「ひがしは」と刻む。

Michishirube Biwajima 20171111.jpg
Photo by 円周率3パーセント (CC BY-SA 4.0)

文政10年(1827)、旧枇杷島橋の小橋のたもとに立てられた高さ173cm、一辺31cmの御影石の石柱。東の面は「にしは、つしまてんのうきよす宿みち」、西の面は「ひがしは、とうかいどうなごや道」、南の面に年月、北の面に「いわくら道」と刻む。

  • 高さ173cm、一辺31cm
  • 文政10年(1827)
  • 市指定

02 / 貝塚

遠賀川系の土器と、縄文の系統を引く条痕文土器が、ともに出土する。

Kaigarayama shell midden.jpg
Photo by MChew (CC BY-SA 4.0)

貝殻山貝塚は国の史跡で、指定は1971年。前期と中期の遺物を出す貝塚を中心に、付近一帯に後期におよぶ包含層が広がる。文化庁は、弥生文化が東海地方に定着していった姿を明らかにする遺跡と記す。

  • 国史跡 1971年
  • 前期から後期の包含層
  • 遠賀川系土器と条痕文土器

03 / 町家

美濃路に面して、切妻・平入の町家が建つ。

Shibata House ac (1).jpg
Photo by Asturio Cantabrio (CC BY-SA 4.0)

1896年築の木造2階建。切妻造・桟瓦葺の平入で、南に下屋を設け、後方はくの字に折れる。1階は東に通り土間、西に4室を並べる。2006年、国の登録有形文化財(建造物)となった。文化庁は「美濃路に面した近代町家の好例」と記す。

  • 1896年築
  • 切妻造・平入・2階建
  • 登録 2006年

くらし

名古屋から、名鉄急行で8分。

  • 人口7万人規模
  • 都心まで30分

名鉄名古屋駅から須ケ口駅へは、名鉄急行で乗り換えなしの8分。市は、須ケ口駅から市役所まで徒歩約15分、新川橋駅からは徒歩約5分と案内しています。西枇杷島問屋記念館へは、西枇杷島駅または二ツ杁駅から徒歩7分です。

住んでいる人
67,352人
2010

2015年より 0%

65,757 → 67,352人

面積
17.35km²

うち可住地 17.35km²

2024年

世帯数
28,929世帯

1世帯 2.3人

2020年

家賃(借家の平均)
5.8万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所44

人口1万人あたり 6.8

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2010年以降(市域変更)。2005-07-07 に新設合併(西枇杷島町・清洲町・新川町)。2005年調査から市域が変わっている。2009-10-01 に編入合併(春日町)。2010年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 14園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの清須市35.200°N 136.853°E
東京清須市
須ケ口駅
須ケ口駅2024年
  • 名古屋まで名鉄急行8分

所要時間は名古屋鉄道『路線別時刻表 名古屋本線』のPDF(2026年3月14日改正。https://www.meitetsu.co.jp/train/timetable/index.html の『名古屋本線』の4本)。名鉄名古屋→須ケ口は下り(豊橋→名鉄名古屋→名鉄岐阜)の平日『kai_20260314_NH_W1.pdf』(2026-06-22 掲載)と土・休日『20260314_NH_H1_1.pdf』、須ケ口→名鉄名古屋は上り(名鉄岐阜→名鉄名古屋→豊橋)の平日『20260314_NH_W2_1.pdf』と土・休日『20260314_NH_H2_1.pdf』(2026-10-19 確認)。時間帯により異なります。

かたち

5市町村に、接している。

清須市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

7.9km

名古屋市・稲沢市・あま市・北名古屋市・一宮市

清須市は、こういう町です。

  1. 01西枇杷島問屋記念館は、下小田井の市の創始者の一人といわれる山田九左衛門家の住居を、1992年に移築復元した建物
  2. 02美濃路道標は、美濃路と岩倉街道の分岐点だった旧枇杷島橋のたもとに、文政10年(1827)に立てられた市指定の石柱
  3. 03国史跡の貝殻山貝塚と登録有形文化財の柴田家住宅があり、市は弘治元年(1555)に織田信長が清洲城へ入城したと記す

気になったら、町に聞いてみませんか。