01 / 解剖図
藩医らが会主となった解剖は、8葉の水彩の図に残る。
天保11年(1840)、壬生藩医の齋藤玄昌と石﨑正達らが会主となり、刑場で解剖が行われました。解剖図は八葉の和紙に水彩で写生され、町指定の『解体正図』に残ります。嘉永3年(1850)、藩主の鳥居忠挙は牛痘の重要性を口上書に記し、のち領民すべてに接種を徹底させました。
- 天保11年(1840)の解剖
- 解剖図は8葉
- 嘉永3年(1850)の口上書
01 / 解剖図
天保11年(1840)、壬生藩医の齋藤玄昌と石﨑正達らが会主となり、刑場で解剖が行われました。解剖図は八葉の和紙に水彩で写生され、町指定の『解体正図』に残ります。嘉永3年(1850)、藩主の鳥居忠挙は牛痘の重要性を口上書に記し、のち領民すべてに接種を徹底させました。
02 / 銅製鳥居
安永7年(1778)に壬生の豪商・加藤作太夫が寄進した、雄琴神社の銅製鳥居です。台輪を付け島木で受けた稲荷鳥居で、台石には唐獅子の鋳物が配されます。左柱に「下野佐野鋳物師 丸山善太郎藤原易親」と刻まれ、県は天明鋳物師を代表する丸山一族の手による、と記します。
03 / 本陣の分家

松本家は、江戸期に本陣の役を担った松本家の分家で、初代の庄作は一時、本陣の役も担いました。主屋は大正元年、土蔵3棟と表門、裏門・塀は明治40年頃の建設で、6件が国の登録有形文化財です。個人所有で、公開は道路から見える外観のみです。
くらし
町は東西8.0km・南北12.5km、面積61.06km²。西境を思川、中央部を黒川、東境沿いを姿川が流れ、海抜50〜100mのほぼ平坦な地形です。町内の東武宇都宮線の駅は、壬生・国谷・おもちゃのまち・安塚の4つ。町公式は、浅草駅から東武日光線で新栃木駅へ行き、乗り換えて東武宇都宮線で約13分の国谷駅へ、と案内しています。
2015年より −1.2%
39,823 → 39,474人
うち可住地 57.08km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 9.1
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
12.8km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。