Azuma Kofun genmon.JPG
よみもの

09361 / みぶまち

栃木県 下都賀郡

壬生町

石室の入口の石が、城跡の公園に立つ。

吾妻古墳|玄門石

Photo by Saigen Jiro (CC0)

01 / 解剖図

藩医らが会主となった解剖は、8葉の水彩の図に残る。

天保11年(1840)、壬生藩医の齋藤玄昌と石﨑正達らが会主となり、刑場で解剖が行われました。解剖図は八葉の和紙に水彩で写生され、町指定の『解体正図』に残ります。嘉永3年(1850)、藩主の鳥居忠挙は牛痘の重要性を口上書に記し、のち領民すべてに接種を徹底させました。

  • 天保11年(1840)の解剖
  • 解剖図は8葉
  • 嘉永3年(1850)の口上書

02 / 銅製鳥居

壬生の豪商が寄進した銅製鳥居に、佐野の鋳物師の名が刻まれている。

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Photo by Saigen Jiro (CC0)

安永7年(1778)に壬生の豪商・加藤作太夫が寄進した、雄琴神社の銅製鳥居です。台輪を付け島木で受けた稲荷鳥居で、台石には唐獅子の鋳物が配されます。左柱に「下野佐野鋳物師 丸山善太郎藤原易親」と刻まれ、県は天明鋳物師を代表する丸山一族の手による、と記します。

  • 安永7年(1778)に寄進
  • 県指定有形文化財(平成元年)
  • 左柱に「下野佐野鋳物師」

03 / 本陣の分家

本陣の分家の屋敷に、登録有形文化財が6件ある。

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Photo by Suikotei (CC BY-SA 4.0)

松本家は、江戸期に本陣の役を担った松本家の分家で、初代の庄作は一時、本陣の役も担いました。主屋は大正元年、土蔵3棟と表門、裏門・塀は明治40年頃の建設で、6件が国の登録有形文化財です。個人所有で、公開は道路から見える外観のみです。

  • 国登録有形文化財6件
  • 主屋は大正元年
  • 土蔵3棟は明治40年頃

くらし

東武宇都宮線の駅が、町内に4つある。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

町は東西8.0km・南北12.5km、面積61.06km²。西境を思川、中央部を黒川、東境沿いを姿川が流れ、海抜50〜100mのほぼ平坦な地形です。町内の東武宇都宮線の駅は、壬生・国谷・おもちゃのまち・安塚の4つ。町公式は、浅草駅から東武日光線で新栃木駅へ行き、乗り換えて東武宇都宮線で約13分の国谷駅へ、と案内しています。

住んでいる人
39,474人
19952020

2015年より −1.2%

39,823 → 39,474人

面積
61.06km²

うち可住地 57.08km²

2024年

世帯数
15,894世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
4.8万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院1/診療所35

人口1万人あたり 9.1

2023年

面積61.06km²うち可住地57.08km² / 93%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 11園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの壬生町36.442°N 139.815°E
大阪壬生町
壬生町の領域
境界:国土数値情報 N03湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

12.8km

下野市・鹿沼市・栃木市・宇都宮市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

壬生町は、こういう町です。

  1. 01吾妻古墳(栃木市と壬生町にまたがる)から持ち出された玄門石は、凝灰岩の一枚岩に入口をくり抜いた石で、壬生城址公園に展示されている
  2. 02壬生藩医の齋藤玄昌らが会主となった天保11年(1840)の解剖は、八葉の水彩の図『解体正図』に残り、町指定の文化財になっている
  3. 03雄琴神社の銅製鳥居は壬生の豪商が安永7年(1778)に寄進した県指定の文化財で、松本家住宅群の主屋・土蔵・門の6件は国の登録有形文化財

気になったら、町に聞いてみませんか。