Ogure rier gate ruins.jpg
よみもの

21382 / わのうちちょう

岐阜県 安八郡

輪之内町

河道の消えた川の堰跡を、石碑が示す。

大藪洗堰跡|大榑川

Photo by Opqr (CC BY-SA 4.0)

01 / 常夜燈

夜の渡し船は、堤の上の燈明台の明かりを目標に出ていた。

東大藪の水神神社の境内に、「大神宮 村内安全 安政丙辰(三)年九月仝日」と刻まれた燈明台が建っています。もとは堤防の上にあり、長良川の改修で今の場所に移されました。村人は黒船燈台と呼び、毎年9月17日にお燈明祭りを行ってきました。

  • 安政3年(1856)9月の刻銘
  • もとは東大藪の堤防の上
  • お燈明祭り 毎年9月17日

02 / 馬除場

馬を担いで行列を避けたと伝わる、2m四方の土地が道の脇に二か所。

江戸時代の多良街道は道幅四尺ほどで、楡俣新田と中郷の間の道の南側にある2メートル平方の土地二か所が、勘右衛の馬除場です。伝説では、力持ちの勘右衛が馬の四本足を担いで水奉行の殿様の行列を避け、馬除場を許されたといいます。町指定史跡です。

  • 道幅は四尺ほど
  • 2m四方の土地が2か所
  • 町指定史跡(1957年)

03 / 福束城跡

城跡は、三川分流工事で跡形を失い、位置は川の中ほどだったようだ。

Fukuzuka Bridge s2.jpg
Photo by Alpsdake (CC BY-SA 4.0)

美濃国諸旧記は、福束蔵人十郎益行が応永21年(1414)に福束城を築き、南伊勢との船運を取り仕切ったと書きます。木曽・長良・揖斐の三川分流工事で跡形を失い、位置は揖斐川の城浦渡場と鎮所の端を結ぶ線の川の中央あたりだったようです。町指定史跡です。

  • 応永21年(1414)築城(美濃国諸旧記)
  • 三川分流工事で跡形を失う
  • 町指定史跡(1957年)

くらし

駅の無い町へ、岐阜羽島駅から路線バスで19分。

  • 人口10千人規模
  • 郡部の町

町内に鉄道の駅は無く、名阪近鉄バスの輪之内羽島線が、岐阜羽島駅から輪之内文化会館まで19分で結びます(どの便も19分)。大垣駅前からは輪之内線で、平日の最速が35分、土日祝は30分です。

住んでいる人
9,654人
19952020

2015年より −3.2%

8,669 → 9,654人

面積
22.33km²

うち可住地 22.33km²

2024年

世帯数
3,439世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所5

人口1万人あたり 5.2

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの輪之内町35.285°N 136.637°E
東京輪之内町
輪之内文化会館
輪之内文化会館2016年
  • 岐阜羽島まで路線バス19分
  • 大垣まで路線バス35分

所要時間は事業者公式(名阪近鉄バス https://www.mkb.co.jp/ の路線名一覧 https://www.mkb.co.jp/rosenmei-3/)の時刻表PDF。輪之内羽島線=岐阜羽島駅〜輪之内文化会館(wanouchihashima1_1/1_2=平日の往路・復路、2_1/2_2=土・日祝の往路・復路。どれも頭に『2026年10月1日改正』)。輪之内線=大垣駅前〜輪之内文化会館(wanouchi1_1/1_2=平日、2_1/2_2=土日祝。どれも頭に『2022年10月1日改正』)。町公式『町へのアクセス』(https://town.wanouchi.gifu.jp/portal/town/government-office-information/post0025976/)の『名阪近鉄バス JR大垣駅前から輪之内文化会館(輪之内線)約35分』『岐阜羽島駅から輪之内文化会館(輪之内羽島線)約20分』と照らした(2026-10-15 確認)。時間帯により異なります。

かたち

5市町村に、接している。

輪之内町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

6.7km

海津市・養老町・大垣市・安八町・羽島市

輪之内町は、こういう町です。

  1. 01大藪洗堰跡は、長良川から取水し揖斐川へ注いでいた大榑川にあった石の洗堰の跡で、岐阜県の史跡。宝暦5年(1755)に完成した堰は同年の出水で決壊し、宝暦8年(1758)完成の堰が1899年の締切堤の完成まで制水を担い、その完成で大榑川の河道が消えた。1997年度の調査で堰の跡が地中に残ると確認され、「薩摩堰遺跡」の碑が立つ
  2. 02大藪渡常夜燈は、東大藪の水神神社の境内にある安政3年(1856)9月の燈明台で、長良川の渡し船が夜に目標にした明かりだと町教委は記す。勘右衛の馬除場と福束城跡は、ともに1957年に町が史跡に指定した
  3. 03町名の輪之内は、堤防で村の周りを囲んだ輪の中(輪中)を「輪の内」と呼んだことに由来し、1954年に福束・大藪・仁木の三町村が合併して発足した。面積は22.33km²で、町内に鉄道の駅は無い

気になったら、町に聞いてみませんか。