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よみもの

46225 / あいらし

鹿児島県

姶良市

学校の正門は、県庁の門だった。

重富小学校正門|旧県庁の門

Photo by Tam0031 (CC BY-SA 3.0)

01 / くも合戦

戦ったくもは、もとの生息地に帰される。

加治木のくも合戦は、文禄・慶長の役の陣中で、島津義弘が兵士を元気づけるためにコガネグモのメスを集めて戦わせたのが始まりと伝えられます。平成3年に設立されたくも合戦保存会の主催で、毎年6月第3日曜日に開かれ、2018年にはユネスコ「プロジェクト未来遺産」に登録されました。

  • 毎年6月第3日曜日
  • 2018年 プロジェクト未来遺産に登録
  • 出場したくもは生息地へ帰す

02 / 龍門司坂

道は寛永12年に造られ、石は100年後に敷かれた。

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Photo by Sanjo (CC BY-SA 3.0)

龍門司坂は、鹿児島城下から大口へ通じる大口筋の一部で、寛永12年(1635)に造られ、100年後に石が敷かれました。石は近くの樋ノ迫山から切り出され、全長は1500m余りと言われますが、現在は約500mが当時の姿で残っています。国の史跡です。

  • 寛永12年(1635)に造られる
  • 100年後に石が敷かれた
  • 約500mが当時の姿で残る

03 / 森山家住宅

鍋と釜を扱う鋳物師の家の土蔵に、「山二」の屋号が残る。

森山家は江戸時代から明治時代にかけて鋳物業で栄えた加治木の豪商で、幕末には磯の集成館で大砲の鋳造にも関わりました。奄美や沖縄の黒糖づくりの鍋も作りました。旧作業場は、第1期集成館の建物を移設して作られたという言い伝えがあります。主屋と土蔵は明治37年の建築です。

  • 主屋・土蔵は明治37年の建築
  • 土蔵の屋根に屋号「山二」
  • 国登録有形文化財

くらし

鹿児島中央駅から、帖佐駅まで約25分。

  • 人口8万人規模

市役所の最寄りは日豊本線の帖佐駅で、鹿児島中央駅から約25分、駅から市役所までは徒歩で約10分です。2010年、加治木町・姶良町・蒲生町が合併してできた市で、桜島・錦江湾ジオパークの一部です。

住んでいる人
76,348人
2010

2015年より +1.6%

74,809 → 76,348人

面積
231.25km²

うち可住地 77.67km²

2024年

世帯数
32,850世帯

1世帯 2.3人

2020年

家賃(借家の平均)
4.1万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院12/診療所65

人口1万人あたり 10.1

2023年

面積231.25km²うち可住地77.67km² / 34%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 24園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの姶良市31.728°N 130.628°E
東京大阪姶良市
姶良市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

23.0km

霧島市・薩摩川内市・鹿児島市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

姶良市は、こういう町です。

  1. 01重富小学校の正門は、西南戦争後に建設された元鹿児島県庁の正門を、大正15年に移築したものです。国の登録文化財になっています。
  2. 02加治木のくも合戦は、陣中でコガネグモのメスを戦わせたのが始まりと伝わる行事です。龍門司坂は、寛永12年に造られ、100年後に石が敷かれた国史跡の道です。
  3. 03加治木の森山家住宅は、鍋や釜を扱う鋳物師の家で、幕末には集成館での大砲の鋳造にも関わりました。

気になったら、町に聞いてみませんか。