01 / 岩熊井堰
水を引けず「ヒバリの巣」と言われた出北。家老の命で、五ヶ瀬川に井堰がつくられた。
延岡城下の出北は、川より土地が高く、水を引けませんでした。家老の藤江監物が1724年に井堰づくりを命じ、郡奉行の江尻喜多右衛門が、監物の死の3年後の1734年に完成させました。昭和8年と46年の大改修を経て、いまの頭首工になっています。
- 1724年に井堰づくりを命じる
- 監物の死の3年後、1734年に完成
- 昭和8年・46年に大改修
01 / 岩熊井堰
延岡城下の出北は、川より土地が高く、水を引けませんでした。家老の藤江監物が1724年に井堰づくりを命じ、郡奉行の江尻喜多右衛門が、監物の死の3年後の1734年に完成させました。昭和8年と46年の大改修を経て、いまの頭首工になっています。
02 / 南方古墳群 24号墳

大貫町の丘陵にある、直径約21m・高さ4.2mの円墳です。市の看板は「県北で最大規模の横穴式石室を持つ」と記します。江戸時代のころにはすでに開口し、盗掘等を受けていましたが、1913年の鳥居龍蔵博士の調査で、直刀破片・須恵器などが出土しました。
03 / 畳堤
五ヶ瀬川の市街部に残る、高さ60cmのコンクリート製の堤防です。上から見ると幅7cmの隙間があり、洪水のときは畳をはめて越水を防ぐ努力をしていました。土木学会は、畳堤が現存するのは長良川、揖保川と五ヶ瀬川だけとします。
くらし
東九州に位置し、清流の五ヶ瀬川が貫流します。2006年に北方町・北浦町を、2007年に北川町を編入しました。江戸時代は、高橋、有馬、三浦、牧野、内藤の五氏の藩主が入れ代わった延岡藩の城下町で、玄関口はJR日豊本線の延岡駅です。
2015年より −5.4%
131,182 → 118,394人
うち可住地 132.46km²
2024年
1世帯 2.3人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 8.8
2023年
人口は2010年以降(市域変更)。2006-02-20 に編入合併(北方町・北浦町)。2010年調査から市域が変わっている。2007-03-31 に編入合併後は(北川町)。2010年調査から市域が変わっている。
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
38.7km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。