杵築神社境内の「屏風の清水」 三宅町屏風 Byōbu no shimizu, a vestige of water well 2012.2.05 - panoramio.jpg
よみもの

29362 / みやけちょう

奈良県 磯城郡

三宅町

矢でひと突きすると、水が湧いたと伝わる。

屏風の清水|矢尻ノ井戸

Photo by Nankou Oronain (as36… (CC BY-SA 3.0)

01 / 犬形埴輪

犬形埴輪の額から鼻先へ、綾杉文状の線刻が描かれる。

瓢箪山古墳は伴堂にある三宅古墳群の一つで、墳丘長約40mの前方後円墳とみられ、6世紀前半の築造と考えられます。周濠から円筒埴輪や形象埴輪が出土し、町は犬形埴輪の額から鼻先にかけて綾杉文状の線刻があるのが特徴と記します。

  • 墳丘長約40m
  • 6世紀前半の築造と考えられる
  • 額から鼻先に綾杉文状の線刻

02 / 石見遺跡

石見型盾形埴輪の名は、この石見遺跡に由来する。

石見遺跡は寺川の左岸沿いの平坦地に造られた古墳で、墳丘は削平されています。調査で全長35m以上の前方後円墳と判明し、椅子にすわる男性などの人物埴輪や馬形・鹿形の埴輪、この遺跡から初めて出土した石見型盾形埴輪が出ました。

  • 全長35m以上の前方後円墳
  • 椅子にすわる男性の埴輪は高さ約76cm
  • 1966年の第2次調査で出土

03 / 白山神社

太子が腰を掛けたと伝わる石が、白山神社にある。

三宅町屏風 白山神社 2012.2.05 - panoramio.jpg
Photo by Nankou Oronain (as36… (CC BY-SA 3.0)

白山神社の腰掛石は、聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ往来した折に休んで腰を掛けたと伝わる石です。「屏風」の地名は、村人が屏風を立てて太子を接待したことによるといわれ、屏風杵築神社の拝殿内には、安永6年(1777)9月奉納の接待の絵馬が残ります。

  • 腰掛石は太子ゆかりと伝わる
  • 安永6年(1777)奉納の絵馬
  • 地名は屏風での接待に由来するといわれる

くらし

町内の駅は、近鉄の石見駅と但馬駅。

  • 人口6千人規模
  • 郡部の町

石見駅は近鉄橿原線の駅で、時刻表では普通だけが停まります(2026年3月14日現在)。但馬駅は田原本線にあります。町公式のアクセスマップは、役場へは石見駅から徒歩約18分と案内します。町の公式noteは、奈良盆地の中央にある「全国で2番目に小さい町」と紹介します。

住んでいる人
6,439人
19952020

2015年より −5.8%

8,584 → 6,439人

面積
4.06km²

うち可住地 4.06km²

2024年

世帯数
2,645世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所1

人口1万人あたり 1.6

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの三宅町34.574°N 135.773°E
東京三宅町
三宅町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

2.2km

田原本町・川西町・広陵町・天理市・河合町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

三宅町は、こういう町です。

  1. 01屏風の清水は、屏風杵築神社にある清水。町の観光パンフレットは、聖徳太子が従者の持つ矢でこの地をひと突きすると水が湧き、村人がこの清水を「矢尻ノ井戸」と名づけて大切に使ったと伝える
  2. 02太子道は、聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮へ往来した道で、町内では屏風と伴堂を通ると県の歴史文化資源データベースは記す。町内には旧国名のついた国号地名の石見・三河・但馬が残ると町の観光パンフレットは記す
  3. 03町花のあざさは、万葉集に三宅の原の花として詠まれたことから2009年に制定された。鎌倉時代の僧・忍性は、現在の三宅町屏風の生まれと町の観光パンフレットは記す

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。