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よみもの

29361 / かわにしちょう

奈良県 磯城郡

川西町

空から翁の面と葱が降ったという、寺川のほとりの塚。

面塚|翁の面と葱

Photo by Uo3rt (CC BY-SA 4.0)

01 / 島の山古墳

二度かぶせた粘土の間から、石の腕飾り133点が出土した。

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Photo by Saigen Jiro (Public domain)

島の山古墳は、大和川を望む前方後円墳で、現存長190m、4世紀末頃の築造です。1996年に前方部の粘土槨が発掘され、鍬形石・車輪石・石釧など石製腕飾類133点が、二度の被覆粘土の間から出ました。棺の上からは、玉類が2,500点を超えて見つかっています。

  • 国史跡 2002年指定
  • 石製腕飾類133点
  • 玉類2,500点超

02 / 結崎ネブカ

忘れられたねぎの種を、一軒の農家が残していた。

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Photo by Uo3rt (CC BY-SA 4.0)

結崎ネブカは、戦前に奈良盆地で広く作られた葉ネギの一種です。柔らかく傷みやすいため次第に作られなくなり、町のガイドは、一軒の農家が種を残したと記します。研究論文は、2003年に自宅で種を採る農家の情報が商工会にもたらされ、2005年に県が大和の伝統野菜に認定したと記します。

  • 戦前は奈良盆地で栽培
  • 2003年に農家の情報
  • 2005年 県が伝統野菜に認定

03 / 太鼓踊り絵馬

雨乞いの踊りを描いた絵馬に、スイカを振る舞う人が描かれる。

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Photo by Uo3rt (CC BY-SA 4.0)

糸井神社の「結崎の太鼓踊り絵馬」は、天保13年(1842)の作で、県指定の有形民俗文化財です。町公式は、神宮寺の僧と思われる人物が灯籠に火をつけ、スイカを振る舞う様子が描かれ、大和平野のスイカ栽培の歴史を知る資料と記します。

  • 県指定 1994年
  • 天保13年(1842)の作
  • 太鼓の音は雷を表す

くらし

結崎駅には、近鉄橿原線の普通だけが停まる。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

近鉄の時刻表(2026年3月14日現在)では、結崎駅の列車は平日も土日休も普通だけです。京都行きの普通が平日の朝に1本ありますが、土日休にはありません。町は、大和盆地のほぼ中央にあり、4つの川が集まって大和川に注ぐ水辺の町です。

住んでいる人
8,167人
19952020

2015年より −3.7%

9,847 → 8,167人

面積
5.93km²

うち可住地 5.93km²

2024年

世帯数
3,206世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所7

人口1万人あたり 8.6

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの川西町34.584°N 135.774°E
東京川西町
川西町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

2.1km

三宅町・天理市・安堵町・大和郡山市・河合町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

川西町は、こういう町です。

  1. 01面塚は、室町時代に空から翁の面と一束の葱が寺川のほとりへ落ち、村人が面をその場に葬ったという伝説の地。町公式は、観阿弥が大和猿楽四座の一つ「結崎座」に加わり、座名が「観世座」になったと記す
  2. 02六県神社では毎年2月11日の夜、厄年の男性が腹に太鼓を入れて妊婦を演じる御田植祭「子出来おんだ」が行われ、県の無形民俗文化財になっている。下永では6月の第1日曜日に、蛇とジャジャ馬を野神へ担いで行き、そのまま置く行事が町の文化財になっている
  3. 03貝ボタンは、赤道付近の国々から貝を輸入して作る地場産業で、明治39年に2戸で始まり、大正3年には50戸、職工349名になったと町公式は記す。唐院の比売久波神社は島の山古墳の周濠の西に接し、本殿は春日大社摂社若宮神社の本殿を移したものと伝わる

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。