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よみもの

33423 / はやしまちょう

岡山県 都窪郡

早島町

氏神の本殿は、享保4年の再建。

鶴崎神社本殿

Photo by あかしょうびん (CC BY-SA 4.0)

01 / 備前備中国境標石

約100年の裁判のすえ、干潟の境に石が建てられた。

前潟新田と沖新田の南東に広がる干潟の開発をめぐり、備前・備中の間で約100年にわたり裁判が行われた。文化13年(1816)、幕府は今ある備中方の新田の堤を国境とし、それより南の干潟と海は備前領とする裁定を下した。標石は文政4年(1821)に、干拓工事の始まりとともに建てられた。

  • 約100年にわたる裁判(町教委)
  • 文化13年(1816)に幕府が裁定(町教委)
  • 文政4年(1821)に標石を建てた(町教委)

02 / 金比羅燈籠・道標

讃岐の金刀比羅宮へ続く道に、旅人を導く灯籠と道標が多く残る。

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Photo by Aikaleido (CC BY-SA 4.0)

かつて早島には、讃岐の金刀比羅宮(現香川県琴平町)に続く道「金毘羅往来」が通っていた。江戸時代中期から多くの旅人でにぎわい、旅人を導く灯籠や道標が今も多く残っている。町は「金比羅往来にぎわい再生事業」の一環として、宇喜多堤市場園と花町角を整備した。

  • 江戸時代中期から旅人でにぎわった(町教委)
  • 灯籠や道標が今も多く残る(町教委)
  • 「金比羅往来にぎわい再生事業」で公園を整備(町公式)

03 / 弁才天港跡

早島がまだ島だった頃の波打ち際を、境内の巨石が伝える。

弁才天は、舟本と並ぶ河川交通の要衝の地だった。厳島神社の境内の南にある巨石は、早島がまだ島だった頃の波打ち際の様子を今に伝える。境内には、天保7年(1836)に讃岐の船頭が寄進したと伝えられる「灰船中」の燈籠も残る。

  • 舟本と並ぶ河川交通の要衝(町教委)
  • 「灰船中」の燈籠は天保7年(1836)の寄進と伝えられる
  • 巨石群は町公式の観光ガイド(2026年9月)が紹介

くらし

海に浮かぶ島だった早島は、面積7.62km²。

  • 人口1万人規模
  • 郡部の町

面積7.62km²は、県内の市町村でもっとも小さい。早島はその名のとおり、かつては瀬戸内の海に浮かぶ島の一つで、町の南部は、天正年間の「宇喜多堤」築堤を始まりに児島湾の干潟を開いた干拓地。岡山市と倉敷市の間に位置する。

住んでいる人
12,368人
19952020

2015年より +1.8%

11,562 → 12,368人

面積
7.62km²

うち可住地 6.7km²

2024年

世帯数
4,522世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所10

人口1万人あたり 8.9

2023年

面積7.62km²うち可住地6.7km² / 88%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

2市町村に、接している。

日本のなかの早島町34.601°N 133.828°E
東京早島町
早島町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

4.1km

倉敷市・岡山市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

早島町は、こういう町です。

  1. 01早島の氏神の鶴崎神社は、600年の歴史を刻む社です。本殿は享保4年(1719)に再建された入母屋造で、町の重要文化財になっています。
  2. 02東参道の一対の常夜灯は、安政3年(1856)に江戸と早島の畳表問屋が、江戸積の畳表の航海の安全を祈って奉納したものです。
  3. 03岡山市と倉敷市の間にある面積7.62km²の町で、旗本戸川家の陣屋跡(町指定史跡)や、国の登録有形文化財の溝手家住宅(10棟)があります。

気になったら、町に聞いてみませんか。