01 / 備前備中国境標石
約100年の裁判のすえ、干潟の境に石が建てられた。
前潟新田と沖新田の南東に広がる干潟の開発をめぐり、備前・備中の間で約100年にわたり裁判が行われた。文化13年(1816)、幕府は今ある備中方の新田の堤を国境とし、それより南の干潟と海は備前領とする裁定を下した。標石は文政4年(1821)に、干拓工事の始まりとともに建てられた。
- 約100年にわたる裁判(町教委)
- 文化13年(1816)に幕府が裁定(町教委)
- 文政4年(1821)に標石を建てた(町教委)
01 / 備前備中国境標石
前潟新田と沖新田の南東に広がる干潟の開発をめぐり、備前・備中の間で約100年にわたり裁判が行われた。文化13年(1816)、幕府は今ある備中方の新田の堤を国境とし、それより南の干潟と海は備前領とする裁定を下した。標石は文政4年(1821)に、干拓工事の始まりとともに建てられた。
02 / 金比羅燈籠・道標
かつて早島には、讃岐の金刀比羅宮(現香川県琴平町)に続く道「金毘羅往来」が通っていた。江戸時代中期から多くの旅人でにぎわい、旅人を導く灯籠や道標が今も多く残っている。町は「金比羅往来にぎわい再生事業」の一環として、宇喜多堤市場園と花町角を整備した。
03 / 弁才天港跡
弁才天は、舟本と並ぶ河川交通の要衝の地だった。厳島神社の境内の南にある巨石は、早島がまだ島だった頃の波打ち際の様子を今に伝える。境内には、天保7年(1836)に讃岐の船頭が寄進したと伝えられる「灰船中」の燈籠も残る。
くらし
面積7.62km²は、県内の市町村でもっとも小さい。早島はその名のとおり、かつては瀬戸内の海に浮かぶ島の一つで、町の南部は、天正年間の「宇喜多堤」築堤を始まりに児島湾の干潟を開いた干拓地。岡山市と倉敷市の間に位置する。
2015年より +1.8%
11,562 → 12,368人
うち可住地 6.7km²
2024年
1世帯 2.7人
2020年
人口1万人あたり 8.9
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
4.1km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。