01 / 直島城
秀吉軍の水先案内をした武将が、この島に城と町を築いた。

戦国末期、水軍を率いた高原次利は、備中高松城攻めで秀吉軍の水先案内をした功により、直島など3島を治める領主になったと伝わります。八幡山に直島城を築き、城下として本村の町割りと寺社の整備を進めました。子孫は徳川の旗本となり、6代・90年にわたり直島を治めたといいます。
- 1582年 直島などの領主に
- 八幡山に直島城
- 徳川旗本 6代90年
01 / 直島城

戦国末期、水軍を率いた高原次利は、備中高松城攻めで秀吉軍の水先案内をした功により、直島など3島を治める領主になったと伝わります。八幡山に直島城を築き、城下として本村の町割りと寺社の整備を進めました。子孫は徳川の旗本となり、6代・90年にわたり直島を治めたといいます。
02 / 直島女文楽
天領だった江戸時代、鯛網の季節に淡路島から人形浄瑠璃の一座を招いて興行したのが始まりと伝わります。明治以降にすたれかけた文楽を、昭和23年(1948年)に女性3人が再興し、以来、人形を遣うのは女性だけです。人形頭と衣裳は1962年、女文楽そのものは1984年に県指定になりました。
03 / はげ山の緑化

1917年に操業した製錬所の煙で、荒神島など島の山ははげ山になったといいます。「エコアイランドなおしまプラン」が国に承認された2002年、住民ら約500人のボランティアが荒神島に苗木2,600本を植えました。製錬所はいま、電子機器から金属を取り出す都市鉱山のリサイクルも担います。
くらし
直島に鉄道は無く、町の玄関口は宮浦港です。四国汽船のフェリーで高松港まで約50分、宇野港(岡山県玉野市)まで約20分。宮浦港のターミナルは建築家ユニットSANAAの設計で、学校や役場にも石井和紘の建築が並びます。
2015年より −1.1%
4,162 → 3,103人
うち可住地 4.48km²
2024年
1世帯 2.0人
2020年
人口1万人あたり 6.4
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
ACCESS

所要時間は四国汽船(事業者公式)の「高松港-宮浦港(直島)航路 ご利用案内」(shikokukisen.com/takamatsu-miyanoura/)で、フェリーは片道約50分・1日5往復、高速旅客船(旅客のみ)は片道約30分・1日3往復。同じく「宇野港-宮浦港(直島)航路 ご利用案内」(shikokukisen.com/uno-miyanoura/)で、フェリーは片道約20分・1日14往復、旅客船(旅客のみ)は片道約15分・1日3往復。直島町観光協会公式サイト(naoshima.net/access/)も『高松港から…約50〜60分』『宇野港から…約15〜20分程度』と幅のある言い方で、最初に挙げる港はどちらも宮浦港(2026-09-25 確認)。時間帯により異なります。
かたち
南北のながさ
8.7km
いまの町を、見る。
出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)
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