Naoshima Municipal Naoshima Elementary School.jpg
よみもの

37364 / なおしまちょう

香川県 香川郡

直島町

26歳の設計が、いまも小学校の校舎。

直島小学校|石井和紘

Photo by ラハール (CC BY-SA 4.0)

01 / 直島城

秀吉軍の水先案内をした武将が、この島に城と町を築いた。

八幡神社 直島 Shrine, Naoshima - Oct 31, 2019.jpg
Photo by Stephan Ridgway (CC BY 2.0)

戦国末期、水軍を率いた高原次利は、備中高松城攻めで秀吉軍の水先案内をした功により、直島など3島を治める領主になったと伝わります。八幡山に直島城を築き、城下として本村の町割りと寺社の整備を進めました。子孫は徳川の旗本となり、6代・90年にわたり直島を治めたといいます。

  • 1582年 直島などの領主に
  • 八幡山に直島城
  • 徳川旗本 6代90年

02 / 直島女文楽

一度絶えかけた人形芝居を、女性3人が継いだ。

天領だった江戸時代、鯛網の季節に淡路島から人形浄瑠璃の一座を招いて興行したのが始まりと伝わります。明治以降にすたれかけた文楽を、昭和23年(1948年)に女性3人が再興し、以来、人形を遣うのは女性だけです。人形頭と衣裳は1962年、女文楽そのものは1984年に県指定になりました。

  • 1948年 女性3人が再興
  • 人形頭35個・衣裳69枚
  • 1984年 県指定無形民俗文化財

03 / はげ山の緑化

はげ山になった荒神島に、苗木2,600本を植えた。

Mitsubishi Materials Corporation Naoshima Smelter.jpg
Photo by ブルーノ・プラス (CC BY 4.0)

1917年に操業した製錬所の煙で、荒神島など島の山ははげ山になったといいます。「エコアイランドなおしまプラン」が国に承認された2002年、住民ら約500人のボランティアが荒神島に苗木2,600本を植えました。製錬所はいま、電子機器から金属を取り出す都市鉱山のリサイクルも担います。

  • 1917年 操業開始
  • 2002年 苗木2,600本
  • エコアイランドなおしまプラン

くらし

船でしか、出られない町。

  • 人口3千人規模
  • 郡部の町

直島に鉄道は無く、町の玄関口は宮浦港です。四国汽船のフェリーで高松港まで約50分、宇野港(岡山県玉野市)まで約20分。宮浦港のターミナルは建築家ユニットSANAAの設計で、学校や役場にも石井和紘の建築が並びます。

住んでいる人
3,103人
19952020

2015年より −1.1%

4,162 → 3,103人

面積
14.21km²

うち可住地 4.48km²

2024年

世帯数
1,563世帯

1世帯 2.0人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所2

人口1万人あたり 6.4

2023年

面積14.21km²うち可住地4.48km² / 32%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの直島町34.460°N 133.996°E
東京直島町
宮浦港
宮浦港2025年
  • 高松まで四国汽船50分
  • 宇野まで四国汽船20分

所要時間は四国汽船(事業者公式)の「高松港-宮浦港(直島)航路 ご利用案内」(shikokukisen.com/takamatsu-miyanoura/)で、フェリーは片道約50分・1日5往復、高速旅客船(旅客のみ)は片道約30分・1日3往復。同じく「宇野港-宮浦港(直島)航路 ご利用案内」(shikokukisen.com/uno-miyanoura/)で、フェリーは片道約20分・1日14往復、旅客船(旅客のみ)は片道約15分・1日3往復。直島町観光協会公式サイト(naoshima.net/access/)も『高松港から…約50〜60分』『宇野港から…約15〜20分程度』と幅のある言い方で、最初に挙げる港はどちらも宮浦港(2026-09-25 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・1市町村に、接している。

直島町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

8.7km

岡山県
玉野市

直島町は、こういう町です。

  1. 011970年、26歳の建築家 石井和紘が手がけた直島小学校を皮切りに、町は学校も役場も体育館も、同じ建築家に託した
  2. 02戦国末期、秀吉軍の水先案内をした高原次利が八幡山に直島城を築き、城下として本村の町割りと寺社を整えたと伝わる
  3. 03女性だけで継ぐ人形浄瑠璃「直島女文楽」が伝わり、製錬所の煙で枯れた山を、住民のボランティアが植林で緑に戻してきた

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。