山元町・丘陵地(標高100m以下)
よみもの

04362 / やまもとちょう

宮城県 亘理郡

山元町

なだらかな丘に、古くから人が住む。

丘陵地|標高100m以下

Photo by Piccolo (CC BY 3.0)

01 / 茶室

伊達斉邦が重臣に与えた茶室が、1932年に仙台から坂元へ移された。

此君亭(しくんてい)は、伊達家28代の伊達斉邦が重臣の大條道直に与えた茶室で、町指定文化財。昭和7(1932)年に仙台の大條家屋敷から坂元の蓑首城三ノ丸跡へ移され、建築は天保年間と推定されます。

  • 町指定有形文化財 2002年
  • 1932年に仙台から移築
  • 建築は天保年間と推定

02 / 線刻壁画

横穴墓の奥壁に約1400年前の鳥・人・家とみられる図が刻まれた。

合戦原遺跡38号横穴墓の線刻壁画は約1400年前(飛鳥〜奈良時代)のもので、「鳥」「人」「家」などと考えられる図柄があります。実物は山元町歴史民俗資料館が常設展示しています。

  • 約1400年前
  • 「鳥」「人」「家」などの図柄
  • 実物は歴史民俗資料館に展示

03 / 城跡

本丸跡は神社、二ノ丸跡は小学校、三ノ丸跡は宅地として使われる。

蓑首城(坂本要害)は、1616年に大條宗綱が伊達政宗から拝領してから明治維新までの252年間、大條家の居城でした。町指定は本丸跡で、三ノ丸跡の大手門は18〜19世紀前半の木材と判明しています。

  • 町指定史跡(本丸跡) 1978年
  • 大條家の居城 252年間
  • 大手門 18〜19世紀前半の木材

空から見た山元町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2022年7月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

山下駅から役場まで、歩いて15〜20分。

  • 人口1万人規模
  • 郡部の町

町公式の「役場へのアクセス」は、JR常磐線の山下駅から徒歩約15〜20分、町民バスかタクシーなら約5分と案内します。町の面積は64.5km²で、東西約6km・南北約12kmのほぼ長方形です。

住んでいる人
12,046人
19952020

2015年より −2.2%

18,815 → 12,046人

面積
64.58km²

うち可住地 44.67km²

2024年

世帯数
4,541世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所5

人口1万人あたり 5.0

2023年

面積64.58km²うち可住地44.67km² / 69%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・4市町村に、接している。

日本のなかの山元町37.963°N 140.878°E
東京大阪山元町
山元町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

12.2km

福島県
新地町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

山元町は、こういう町です。

  1. 01町は西が高く東が低く、標高100m以下のなだらかな丘陵地には古くから人が住み、昔の遺跡などが多く見つかっていると町公式は解説する
  2. 02大條家茶室「此君亭」は1932年に仙台から蓑首城の三ノ丸跡へ移された町指定の茶室で、城跡は本丸跡が神社、二ノ丸跡が小学校になっている
  3. 03合戦原遺跡38号横穴墓の線刻壁画の実物は資料館にあり、志賀潔は磯浜に別荘を建て「無可有之郷」と呼び、町指定には異国船を監視した唐船番所跡もある

気になったら、町に聞いてみませんか。