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よみもの

42321 / ひがしそのぎちょう

長崎県 東彼杵郡

東彼杵町

鯨が陸揚げされ、九州各地へ送られた港。

元禄船着場跡|彼杵港

Photo by STA3816 (CC BY-SA 4.0)

01 / 彼杵の古墳

前方部が著しくくびれた古墳は、通称「ひさご塚」と呼ばれる。

Hisagozuka Kofun, Funkyu South 360-degree.jpg
Photo by AsPJT (CC0)

大村湾に面した砂礫丘の上にある、全長58.8m・後円部直径37.7mの前方後円墳で、5世紀前半頃の築造。県の文化財データベースは県内最大級と記す。銅鏡1面、ガラス製小玉300点ほどなどが副葬され、墳丘は復元されている。

  • 全長58.8m・後円部直径37.7m
  • 5世紀前半頃の築造
  • 1950年 県指定史跡

02 / 龍頭泉

48の滝と淵が連なる渓谷を、儒学者の広瀬淡窓が龍に見立てた。

龍頭泉 20150920 - panoramio.jpg
Photo by 690 Noda (CC BY 3.0)

千綿川に沿って48の滝と淵が連なる。町公式は、弘化2年(1845)に広瀬淡窓が千綿渓四十八潭と称し、渓谷全体を一匹の龍に見立て、上流の一番大きな滝を龍頭泉と命名したと記す。町の資料館は、渓谷全体の呼び名とも伝える。

  • 48の滝と淵
  • 1845年 淡窓が千綿渓四十八潭と称す
  • 多良岳県立公園の一角

03 / 千綿の人形芝居

神官の舞姿を形どった人形が、千綿の人形芝居の起源と伝えられる。

千綿宿郷に伝わり、起源ははっきりしないと県は記す。神官の舞姿の人形を氏神の前で操ったのが始まりと伝えられ、江戸時代は大村藩の保護もあり、かつては40人を数える大一座だった。町は2023年に人形遣いのサポーターを募った。

  • 1977年 県指定無形民俗文化財
  • 3人遣い(資料館)
  • 人形の頭44組が現存(資料館)

くらし

山に囲まれ、大村湾に面した74.29km²。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

総面積は74.29km²。国見岳・遠目岳・虚空蔵岳を主峰とする山々が三方を囲み、南西は大村湾に面する。町の大半は山林で、平野部は少なく棚田が発達している。かつては長崎街道の宿場で、平戸街道の起点でもあったと町公式は記す。町内のJR大村線の駅は彼杵駅と千綿駅で、彼杵駅から役場までは徒歩5分。

住んでいる人
7,721人
19952020

2015年より −7%

10,349 → 7,721人

面積
74.29km²

うち可住地 29.61km²

2024年

世帯数
2,705世帯

1世帯 2.9人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所6

人口1万人あたり 9.1

2023年

面積74.29km²うち可住地29.61km² / 40%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・3市町村に、接している。

日本のなかの東彼杵町33.037°N 129.917°E
東京大阪東彼杵町
東彼杵町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

11.9km

長崎県
大村市・川棚町
佐賀県
嬉野市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

東彼杵町は、こういう町です。

  1. 01町公式は、江戸時代初めから明治にかけて彼杵港に鯨が陸揚げされ、九州各地へ送られたと記す。町の歴史民俗資料館は、元禄年間に築かれた波止場が当時のまま残ると記す
  2. 025世紀前半頃のひさご塚と、渓谷を龍に見立てた千綿渓の龍頭泉が町にある。千綿駅のホームからは大村湾が一望できると町公式は記す
  3. 03千綿の人形芝居と坂本浮立は県の無形民俗文化財で、庄屋公園には元和7年(1621)銘のキリシタン墓碑が立つ。県境の俵坂峠の領界石は、上が欠け、本来は「従是南大村領」と彫られていたと資料館は記す

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。