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よみもの

42308 / とぎつちょう

長崎県 西彼杵郡

時津町

岩の上に岩がのり、落ちそうで落ちない。

継石坊主|さばくさらかし岩

Photo by 時津町 (CC0)

01 / 茶屋(本陣)

大村藩が営んだ茶屋は、長崎奉行や隣国の大名の休憩所。

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Photo by Houjyou-Minori (CC0)

時津街道の宿で、長崎奉行や隣国の大名が休んだ場所です。大村藩営で、門や座敷などが今も残り、平成7年に町の文化財になりました。毎週土曜・日曜には、座敷や庭園を無料で見学できます。

  • 大村藩営
  • 町文化財 平成7年
  • 毎週土日 無料公開

02 / 長崎甚左衛門の墓

墓碑は、子孫が元禄15年に建て、山陰の人々が修繕したと刻む。

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Photo by Marine-Blue (CC BY-SA 4.0)

長崎甚左衛門純景は、元亀2年(1571)の長崎開港当時、長崎村や時津村などを有した領主で、長崎開港の祖といわれます。墓は小島田の寺倉城山の東麓にあり、県の史跡です。墓碑は夫妻の墓で、元禄15年(1702)に子孫の大村内匠助長頼が建てました。

  • 1966年 県指定史跡
  • 1571年 長崎開港
  • 1702年 墓碑を建立

03 / 時津街道

時津街道をたどれば、船をつないだ石、牛馬を鞭打ったと伝わる坂に出る。

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Photo by Houjyou-Minori (CC0)

町公式は、時津街道の「市場」の一帯はむかし海岸で、船をつなぐ「ともづな石」があったと記します。石は道の拡幅で取り除かれ、今は八幡神社下の植え込みに保存されています。長崎へ向かう打坂は、牛馬の尻をムチで打って歩かせたことから名が付いたと伝わります。

  • ともづな石 八幡神社下に保存
  • 打坂 牛馬をムチで打った坂

くらし

大村湾の南端に、L字にのびる町。

  • 人口3万人規模
  • 郡部の町

時津町は長崎市の北部と西彼杵半島の接点にあり、北は大村湾の南端部、東は長与町、西から南は長崎市に接します。輪郭は北西から南東へのL字で、東西約7km・南北約9km、面積は20.94km²です。町内に鉄道の駅は無く、町公式はJR長崎駅前から長崎バスで「時津」まで約30分、そこから徒歩約2分で町役場と案内します。

住んでいる人
29,339人
19952020

2015年より −1.6%

26,932 → 29,339人

面積
20.94km²

うち可住地 12.48km²

2024年

世帯数
11,435世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
5.7万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院3/診療所30

人口1万人あたり 11.2

2023年

面積20.94km²うち可住地12.48km² / 60%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 8園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

2市町村に、接している。

日本のなかの時津町32.829°N 129.849°E
東京大阪時津町
時津町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

9.1km

長崎市・長与町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

時津町は、こういう町です。

  1. 01継石坊主(さばくさらかし岩)は、国道206号沿いの山の斜面に立つ奇岩です。町公式は「時津町のシンボル」と呼び、鯖を売る魚屋が落ちるのを待つうちに魚が腐ったという逸話と、狂歌師・大田南畝が文化2年(1805)に詠んだ歌を伝えます。
  2. 02時津街道の宿だった茶屋(本陣)には門や座敷が残り、長崎開港当時の領主、長崎甚左衛門純景の墓は県の史跡です。街道には、船をつないだ石と、牛馬を鞭打った坂の名が伝わります。
  3. 03街道の起点の波止場には日本26聖人の上陸を記す碑が立ちますが、上陸地は時津の波止・浜田の波止・北泊の説があり、はっきりしません。浜田・野田・左底・西時津の4つの郷には、それぞれ別の郷土芸能が伝わります。

気になったら、町に聞いてみませんか。