堂崎の鼻 海岸にて - panoramio.jpg
よみもの

42307 / ながよちょう

長崎県 西彼杵郡

長与町

旧石器のころ、この海は盆地だった。

堂崎遺跡|堂崎ノ鼻

Photo by na_sh (CC BY-SA 3.0)

01 / 長与三彩

発掘で、三彩の失敗品が出土した。長与で焼かれた可能性が、高まった。

嬉里郷田尾に、全長約115mの登り窯跡(長与皿山窯跡)が残ります。長与焼は寛文7年(1667年)に始まった窯で、三彩は製法などが不明なことから、町は「幻の長与三彩」と呼びます。平成17年の発掘で失敗品が出土し、同地で焼かれた可能性が高まりました。

  • 全長約115mの登り窯跡
  • 寛文7年(1667年)に始まる
  • 平成17年 三彩の失敗品が出土

02 / 中尾城跡

土を叩き締め、6回積み上げた土塁が県内の戦国の城では、例外的という。

土塁は下幅4m、上幅約1m、高さ2.5m。平成4年の発掘で、叩き締めた土の層が6枚観察され、6回積まれたと分かりました。県内の戦国の城の土塁は貧弱なものが多いといい、町の指定遺跡です。土塁は中尾城公園の頂上付近で見られます。

  • 下幅4m・高さ2.5m
  • 土の層が6枚
  • 町の指定遺跡

03 / 寺屋敷跡五輪塔群

住宅地の中に、室町の五輪塔が並ぶ。「明徳」の銘は、長与最古とみられる。

丸田郷の住宅地に、大小6基の五輪塔が並びます。散らばる地輪から、30基を超えたと推測されています。年号は明徳2年(1391年)から天文10年(1541年)で、領主の長与氏と関係があるとみられます。県指定の史跡です。

  • 昭和46年 県指定史跡
  • 大小6基・30基超と推測
  • 明徳2年(1391年)〜天文10年(1541年)

くらし

長崎駅から電車で約16分。町内に海も山もある。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

町公式の交通案内では、JR長崎駅から長与駅または高田駅まで約16分です。町は長崎市中心部から約10kmで、琴ノ尾岳(451.4m)に発する長与川(延長約8km)が、大村湾に注ぎます。堂崎鼻と琴ノ尾岳は、ともに「次代に残そう長崎百景」に選ばれた名勝です。

住んでいる人
40,780人
19952020

2015年より −4.2%

35,377 → 40,780人

面積
28.73km²

うち可住地 18.82km²

2024年

世帯数
16,011世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
5.4万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院3/診療所37

人口1万人あたり 9.8

2023年

面積28.73km²うち可住地18.82km² / 66%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 9園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの長与町32.825°N 129.875°E
東京大阪長与町
長与町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

11.0km

長崎市・時津町・諫早市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

長与町は、こういう町です。

  1. 01町の最北端、大村湾に突き出る堂崎ノ鼻にある堂崎遺跡は、町内最古で最大の遺跡。旧石器のころ、大村湾には海水がなく、大きな盆地だった
  2. 02町内で確認された最古の土器は、約8,000年前の前田川内洞穴のもの。町は堂崎遺跡・寺屋敷跡五輪塔群・中尾城跡・長与皿山窯跡を「代表する4つの遺跡」に挙げる
  3. 03浜の城(唾飲城)跡には、「梅干し!」の声で兵が唾を飲み込み、城を落としたという逸話が、名の由来として言い伝わる

気になったら、町に聞いてみませんか。