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よみもの

42204 / いさはやし

長崎県

諫早市

橋がないのは、領の面目に関わるとされた。

諫早眼鏡橋

Photo by 663highland (CC BY 2.5)

01 / 千々石清左衛門の墓

天正遣欧少年使節の4人のうち、墓地が具体的に判明しているのは1人。

千々石ミゲルの墓。墓碑には男女二人の戒名と寛永9年(1633)の紀年銘、裏面に千々石玄蕃充の名が刻まれる。民間団体による4回の発掘で、二つの墓坑に成人の男女が一人ずつ埋葬されていたと分かり、被葬者が明らかにされた。

  • 市指定史跡(2024年12月14日指定)
  • 墓碑の紀年銘は寛永9年(1633)(市)
  • 発掘調査は2014〜2021年に4回(市)

02 / 城山暖地性樹叢

伐採されたと『西郷記』に記される丘に、自然林が回復したと思われる。

諫早公園の大クス - panoramio.jpg
Photo by sk01 (CC BY-SA 3.0)

本明川の右岸、周囲約1km・標高約50mの丘陵全体を覆う植物群。中世に西郷尚善が高城(諫早城)を築いた丘で、いまは諫早公園になっている。ヒゼンマユミが九州で最も多く、最も高い密度で生育し、巨木も多い。クスノキの巨木も見られる。

  • 国指定天然記念物(1951年6月9日指定)
  • 周囲約1km・標高約50mの丘陵全体(県)
  • ヒゼンマユミの標準地(県)

03 / ヱーセルテレカラフ

箱書の「中村」は、佐賀藩精煉方の中村奇輔を指すと考えられる。

送信機と受信機の2台組の指字式電信機。文字盤を回すと受信機の指字針が回り、電鍵を押すと鐘が鳴る。箱書から元治元年(1864)以前の考案と示唆される。嘉永7年(1854)、藩主鍋島直正は精煉方に電信機制作を命じた。諫早市美術・歴史館が保管する。

  • 国指定重要文化財(2015年9月4日指定)
  • 箱書は元治元年(1864)(国)
  • 嘉永7年(1854)に制作を命じた(国)

くらし

長崎県のほぼ中央で、3つの海に面する。

  • 人口13万人規模

有明海・大村湾・橘湾の3つの海と、多良山系、市の中心部を流れる本明川がある。市内を4本の国道とJR、島原鉄道が走り、長崎自動車道や島原道路が交わる。

住んでいる人
133,852人
20052020

2015年より −3.1%

144,034 → 133,852人

面積
341.79km²

うち可住地 196.79km²

2024年

世帯数
53,235世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
4.4万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院20/診療所130

人口1万人あたり 11.2

2023年

面積341.79km²うち可住地196.79km² / 58%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2005年以降(市域変更)。2005-03-01 に合併。2005年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 51園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・5市町村に、接している。

日本のなかの諫早市32.843°N 130.053°E
東京大阪諫早市
諫早市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

24.8km

長崎県
大村市・長崎市・雲仙市・長与町
佐賀県
太良町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

諫早市は、こういう町です。

  1. 01諫早眼鏡橋は、天保10年(1839)に本明川に架けられた石造二連アーチ橋で、長さ約50m、いまは諫早公園の中にあります。佐賀藩から諫早領へ上使と巡検使の来訪が伝えられ、橋がないことは領の面目に関わるとして架橋が決まり、費用は領主・領民の賦役・僧侶の托鉢が3分の1ずつを担ったと言われています。
  2. 02諫早は江戸時代、約260年にわたって佐賀藩の諫早領でした。高来町の水ノ浦には石組みのスクイ漁場が残り、森山町には川柳の師・中山五平の将棋墓、城見町の慶巌寺には貞和7年(1351)の名号石、小長井町には鯨や船とみられる線刻のある長戸鬼塚古墳があります。小長井町にはイチゴやミカンの形をしたバス停も16か所あります。
  3. 03長崎県のほぼ中央に位置する市で、有明海・大村湾・橘湾に面しています。

気になったら、町に聞いてみませんか。