01 / 来梅川
町名のもとと言われる川が、碑に「来梅川」と刻まれた。

柳窪の天神社にある柳窪梅林の碑は安政4年(1857年)に造られ、梅の植樹を記します。「来梅川」と刻まれ、市は「くるめ」の名称が初めて登場する碑とします。黒目川は江戸時代の文献や石碑に「久留目川」「来目川」とも書かれ、村名は川から付いたというのが一般的な説です。
- 安政4年(1857年)の碑
- 黒目川の古名「来梅川」
- 村名は川から、が一般的な説
01 / 来梅川

柳窪の天神社にある柳窪梅林の碑は安政4年(1857年)に造られ、梅の植樹を記します。「来梅川」と刻まれ、市は「くるめ」の名称が初めて登場する碑とします。黒目川は江戸時代の文献や石碑に「久留目川」「来目川」とも書かれ、村名は川から付いたというのが一般的な説です。
02 / 大名墓所

米津寺の墓域に、久喜藩主・長瀞藩主だった米津家の2代田盛・4代政矩・6代政崇・8代政懿の墓標が並びます。高さ1.9mの笠付六角塔身型で、塔身には「碧巌録」からの引用が記されています。都は史跡に指定し、都内多摩地域に残る唯一の大名家墓所と記しています。
03 / 縄文の集落
新山遺跡は縄文時代中期(約4500年前)の大きな集落跡で、下里中学校の校庭に柄鏡形住居跡4軒などが保存されています。柄鏡形は円形や方形の竪穴の一方に出入り口が突き出す形。外から見られる1軒は、埋没保存した上に精密複写した復元遺構を展示したものです。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2019年6月〜11月撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
西武池袋線の東久留米駅は、池袋駅から快速で約20分です。市役所は駅の西口から歩いて5分。市の中央を黒目川と落合川が東へ流れ、川沿いの至る所に湧水が見られます。
2015年より −1.2%
111,097 → 115,271人
うち可住地 12.72km²
2024年
1世帯 2.3人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 6.2
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
ACCESS
所要時間は西武鉄道の列車時刻(西武鉄道Webサイトの駅ページのリンク先 seibu.ekitan.com の駅の時刻表。2026-10-22 は直接引けず Wayback の web.archive.org/web/2026id_/ で取得)。池袋駅(235-0 d1〈下り〉・平日 dw=0/土休日 dw=1)の発時刻と、東久留米駅(235-13 d2〈下り〉)の発時刻を、列車番号〈列車ID の末尾4桁〉で同じ列車に突き合わせた。到着時刻は、同じデータで経路を出す駅探(ekitan.com/transit/route/sf-1541/st-2862)を2026-10-22に引いて確かめた(2026-10-22 確認)。時間帯により異なります。
気になったら、町に聞いてみませんか。