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よみもの

38402 / とべちょう

愛媛県 伊予郡

砥部町

川底の段差に、断層を観察できる。

砥部衝上断層

Photo by As6022014 (CC BY-SA 3.0)

01 / 砥石山

砥石山の砥石屑で、磁器を焼いた。創業の窯跡は、同じ外山に位置する。

外山の砥石山は、伊予砥を産した砥石の生産地。県の資料は、砥石を産した一地区「砥山」の名が周辺に広がり、砥部と呼ぶようになったと記す。安永6年(1777)、多量に出る砥石屑を原料に磁器の焼成に成功した。上原窯跡はその創業の窯跡で、藩の奉行が生産をさせたと言われる。

  • 安永6年(1777)に磁器の焼成に成功(町指定文化財)
  • 砥石山は昭和57年頃に閉山(同)
  • 町名は「砥山」から広がったと県の資料が記す

02 / 旧梅野商会

窯元の梅野家が設立した商会。主屋は販売、蔵は集荷の拠点だった。

梅野商会は、砥部焼の生産・流通・販売を行った商会。主屋は明治38年建築の町屋建築で、蔵は屋根をトラス構造にして柱を減らし、中央を吹き抜けとした。砥部焼を上げ下ろしする造りで、蔵は令和2年に移築された。ともに国登録有形文化財で、登録名に「砥部むかしのくらし館」が付く。

  • 主屋・蔵とも明治38年建築(愛媛県教育委員会)
  • 蔵は令和2年に移築(同)
  • 国登録有形文化財(令和5年登録)

03 / 窪田兵右衛門

首謀者と名乗り出て、倉敷で命を落とした組頭の墓は八倉に、墓碑は重光にある。

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Photo by CT-May (CC0)

明和8年(1771)の水争いで、下麻生村の組頭・窪田兵右衛門は首謀者と名乗り出て、倉敷で死罪となった。この争いを契機に赤坂泉がつくられたと記される。麻生村庄屋の文書は、倉敷の人々が建てた石塔が一夜のうちに円通寺へ飛び来たと記す。

  • 安永3年(1774)2月23日に死罪(県内の防災風土資源の解説)
  • 享和3年(1803)の麻生村庄屋の文書に石塔の記述(町指定文化財)
  • 墓と墓碑は町指定史跡

くらし

南北21km。盆地から山あいへ、細長く延びる。

  • 人口2万人規模
  • 郡部の町

東西9km・南北21kmの細長い町。北部は砥部川沿いの盆地状の地形で、松山市と重信川をはさんで接する。南部に向かうほど標高が高く、北ケ森(1010m)などの山あいで、冬は積雪も見られる。町公式は、県都松山市のベッドタウンとして発展してきたと書く。

住んでいる人
20,480人
20052020

2015年より −3.6%

22,424 → 20,480人

面積
101.59km²

うち可住地 30.07km²

2024年

世帯数
8,477世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
3.6万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院1/診療所16

人口1万人あたり 8.3

2023年

面積101.59km²うち可住地30.07km² / 30%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2005年以降(市域変更)。2005-01-01 に合併。2005年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に、接している。

日本のなかの砥部町33.749°N 132.792°E
東京大阪砥部町
砥部町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

20.9km

伊予市・松山市・内子町・久万高原町・松前町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

砥部町は、こういう町です。

  1. 01砥部町岩谷口・大南の砥部川にある砥部衝上断層は、中央構造線上の逆断層の露頭で、昭和13年に国の天然記念物に指定されました。砥部川の河床に数メートルの段差があり、水が滝のように流れ落ちるところで観察でき、周辺約200mが衝上断層公園(無料)に整備されています。
  2. 02国の伝統的工芸品・砥部焼の産地で、外山の砥石山と上原窯跡は、砥石屑から磁器を焼いた創業の地です。砥部焼の商会だった旧梅野商会の主屋と蔵は国登録有形文化財で、水争いで命を落とした窪田兵右衛門の墓と墓碑は町指定史跡です。
  3. 03松山市に隣接する伊予郡の町で、町内に鉄道の駅はなく、町公式は松山市駅から伊予鉄道のバスで約45分と案内しています。北は砥部川沿いの盆地、南は旧広田村の山あいで、町は南北に細長く延びます。

気になったら、町に聞いてみませんか。