01 / 竪穴住居跡
中学校の建設で土器が出た地の周りで、竪穴住居跡が185か所あまり確認された。
1952年、中学校の建設の際に大量の土器が見つかったのをきっかけに、分布調査と発掘調査が行われました。周辺で奈良〜平安時代の竪穴住居跡が185か所あまり確認され、土師器・須恵器・鉄器・琥珀などが出土。指定は野田中学校の西側の約3,000㎡です。
- 県史跡 1954年指定
- 竪穴住居跡 185か所あまり
- 指定範囲 約3,000㎡
01 / 竪穴住居跡
1952年、中学校の建設の際に大量の土器が見つかったのをきっかけに、分布調査と発掘調査が行われました。周辺で奈良〜平安時代の竪穴住居跡が185か所あまり確認され、土師器・須恵器・鉄器・琥珀などが出土。指定は野田中学校の西側の約3,000㎡です。
02 / 神社

野田村役場近くの愛宕山に鎮座します。縁起の詳細は不明で、海蔵院の鎮守としての性格もあり、村は14世紀代の創建とも考えられるとしています。現在の社殿は1925年の再建で、2001年に造られた参道の大鳥居は村のシンボルです。
03 / 歌枕
野田村玉川の小高い丘にある西行屋敷跡は、西行法師が庵を結んだと伝えられる場所です。平安時代中頃の歌人・能因法師が「野田の玉川」を詠み、西行はその足跡をたどって訪ねたと伝えられます。村は、どちらの玉川を訪れたかは断定できないとしています。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
村内の三陸鉄道リアス線の駅は、陸中野田・十府ヶ浦海岸・野田玉川の3つです。村公式の鉄道の図(令和4年6月1日改正)では、久慈から陸中野田まで乗車で約13分で、接続の待ち時間は含みません。
2015年より −5.1%
5,204 → 3,936人
うち可住地 11.44km²
2024年
1世帯 2.6人
2020年
人口1万人あたり 10.2
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
気になったら、町に聞いてみませんか。