野田村・塩の道(ベコの道)
よみもの

03503 / のだむら

岩手県 九戸郡

野田村

塩を牛の背に載せ、内陸へ運んだ道。

塩の道|ベコの道

Photo by Ty19080914 (CC BY-SA 4.0)

01 / 竪穴住居跡

中学校の建設で土器が出た地の周りで、竪穴住居跡が185か所あまり確認された。

1952年、中学校の建設の際に大量の土器が見つかったのをきっかけに、分布調査と発掘調査が行われました。周辺で奈良〜平安時代の竪穴住居跡が185か所あまり確認され、土師器・須恵器・鉄器・琥珀などが出土。指定は野田中学校の西側の約3,000㎡です。

  • 県史跡 1954年指定
  • 竪穴住居跡 185か所あまり
  • 指定範囲 約3,000㎡

02 / 神社

役場近くの愛宕山の神社は、14世紀代の創建とも考えられている。

野田村の神社
Photo by Opqr (CC BY-SA 3.0)

野田村役場近くの愛宕山に鎮座します。縁起の詳細は不明で、海蔵院の鎮守としての性格もあり、村は14世紀代の創建とも考えられるとしています。現在の社殿は1925年の再建で、2001年に造られた参道の大鳥居は村のシンボルです。

  • 創建は14世紀代とも
  • 現在の社殿 1925年再建
  • 参道大鳥居 2001年造営

03 / 歌枕

歌枕「野田の玉川」は、野田村と塩竈市の2か所が想定されている。

野田村玉川の小高い丘にある西行屋敷跡は、西行法師が庵を結んだと伝えられる場所です。平安時代中頃の歌人・能因法師が「野田の玉川」を詠み、西行はその足跡をたどって訪ねたと伝えられます。村は、どちらの玉川を訪れたかは断定できないとしています。

  • 歌枕の想定地は2か所
  • 西行屋敷跡 小高い丘の上
  • 大字玉川

空から見た野田村

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

村内に、三陸鉄道リアス線の駅が3つある。

  • 人口4千人規模
  • 郡部の町

村内の三陸鉄道リアス線の駅は、陸中野田・十府ヶ浦海岸・野田玉川の3つです。村公式の鉄道の図(令和4年6月1日改正)では、久慈から陸中野田まで乗車で約13分で、接続の待ち時間は含みません。

住んでいる人
3,936人
19952020

2015年より −5.1%

5,204 → 3,936人

面積
80.8km²

うち可住地 11.44km²

2024年

世帯数
1,503世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所4

人口1万人あたり 10.2

2023年

面積80.8km²うち可住地11.44km² / 14%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの野田村40.110°N 141.818°E
東京大阪野田村
野田村の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

13.7km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

野田村は、こういう町です。

  1. 01塩の道は、野田で作った塩を牛や馬の背に載せて内陸へ運んだ道で、村公式は盛岡までおよそ7日間かけたと伝わると説明し、東北森林管理局は牛の背で盛岡・沢内・鹿角まで運ばれたことから「ベコの道」とも言うと紹介する
  2. 02野田竪穴住居跡群は県史跡で、中学校の建設の際に土器が見つかったのをきっかけに、周辺で奈良〜平安時代の竪穴住居跡が185か所あまり確認された
  3. 03愛宕神社は14世紀代の創建とも考えられ、西行屋敷跡は歌枕「野田の玉川」を訪ねた西行が庵を結んだと伝わる地で、玉川は宮城県塩竈市にも想定される

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。