Tojin Otsuka Kofun, sekishitsu.jpg
よみもの

46482 / ひがしくしらちょう

鹿児島県 肝属郡

東串良町

石室の中に、舟形の石棺が置かれていた。

唐仁大塚古墳|唐仁古墳群

Photo by Saigen Jiro (CC0)

01 / 唐仁古墳群の円墳

19号墳の周溝の底から、高坏7点と椀5点が出土した。

Yakushozuka Kofun, zenkei.jpg
Photo by Saigen Jiro (CC0)

古墳群の大多数を占める小さな円墳にも、周溝をもつものがあります。19号墳では、外周の直径約20mに復元できる周溝が見つかりました。南西側の底から出た高坏と椀の付近では赤色顔料も検出され、供えものや祭りに関わる遺物の可能性が考えられています。

  • 19号墳の周溝 外周の直径約20m
  • 高坏7点・椀5点が出土
  • 赤色顔料も検出

02 / 柏原海岸のルーピン

緑肥だったルーピンが、海岸の花畑によみがえった。

Lupin at Kashiwabaru Coast Kagoshima 2012.JPG
Photo by Sanjo (CC BY-SA 3.0)

町花のルーピン(和名ノボリフジ)は、昭和40年頃まで緑肥として海岸線一帯で栽培されていました。マツの植林と化学肥料の導入で一時姿を消しましたが、町商工会を中心とした復活の努力がみのり、4月に花が咲きます。背後にはクロマツの松林が続きます。

  • 昭和40年頃まで緑肥として栽培
  • 和名ノボリフジ・4月に開花
  • 松林は防風・防潮・飛砂防備林

03 / 1号墳の砂の丘

1号墳の墳丘の下部は、砂の丘を削り出したとみられる。

唐仁古墳群は、縄文時代後期以前にできた旧砂丘帯の大塚砂州にあります。2024年に町が公表した発掘調査では、墳丘の下部は砂層を削り出したもので、築造当時は2色に分かれた古墳だったと考えられました。砂州の上には火山灰の層「紫コラ」と、開聞岳の火山灰の層「青コラ」が堆積しています。

  • 大塚砂州 5,700〜5,500年前に形成
  • 紫コラ 貞観16年(874年)の火山灰
  • 青コラ 7世紀末の火山灰

くらし

役場は、鹿児島空港から車で約1時間20分。

  • 人口6千人規模
  • 郡部の町

合併を経ていない町で、昭和7年10月に町制を施行しました。町内に鉄道の駅は無く、町公式は鹿児島空港の連絡バス、鹿児島交通の路線バス、鹿児島中央駅〜鹿屋間の直行バスを案内しています。時刻は鹿児島交通の鹿屋営業所へ確かめるよう書かれています。

住んでいる人
6,237人
19952020

2015年より −4.5%

7,868 → 6,237人

面積
27.85km²

うち可住地 24.4km²

2024年

世帯数
2,772世帯

1世帯 2.2人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所8

人口1万人あたり 12.8

2023年

面積27.85km²うち可住地24.4km² / 88%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの東串良町31.386°N 130.973°E
東京大阪東串良町
東串良町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

9.7km

鹿屋市・肝付町・大崎町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

東串良町は、こういう町です。

  1. 01唐仁大塚古墳は、唐仁古墳群の1号墳。後円部の竪穴式石室は中が朱塗りで、舟形石棺が置かれ、短甲という鎧も副葬されていた(県教育委員会)
  2. 02唐仁古墳群は肝属川の河口に近い砂丘の上にあり、昭和9年に国史跡に指定された。19号墳の周溝の底からは、高坏7点と椀5点が出土している
  3. 03柏原海岸の町花ルーピンは、昭和40年頃まで緑肥として栽培された。1号墳の墳丘の下部は砂層を削り出したとみられ、火山灰の層がある

気になったら、町に聞いてみませんか。