Kuroshima Island in Usuki City 2005-10-09.jpg
よみもの

44206 / うすきし

大分県

臼杵市

のちの家康の外交顧問が、黒島に流れ着いた。

リーフデ号|三浦按針

Photo by Project Kei (CC BY-SA 4.0)

01 / 臼杵石仏

磨崖仏として、日本で初めて国宝になった。

Usuki Stone Buddhas.jpg
Photo by Wiiii (CC BY-SA 3.0)

平安後期から鎌倉時代にかけて彫られたホキ石仏第一群・第二群、山王山石仏、古園石仏の4群61躯。1952年に特別史跡、1995年6月15日に磨崖仏としては全国で初めての国宝に指定され、2017年に金剛力士立像2躯が追加指定されました。

  • 1952年3月29日 特別史跡
  • 1995年6月15日 国宝指定(59躯)
  • 2017年 2躯追加(計61躯)

02 / 二王座と直良信夫

凝灰岩の切通しに生まれた考古学者が、明石原人を見つけた。

Nioza Historical Road 01.jpg
Photo by STA3816 (CC BY-SA 4.0)

考古学者・直良信夫は1902年、二王座の切通しに生まれました。1931年4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸で人骨を発見し、「明石原人」と名づけられる根拠になりました。骨は空襲で失われ、いまに残るのは石膏の複製だけです。

  • 1902年 二王座に生まれる
  • 1931年4月18日 西八木海岸で発見
  • 骨は空襲で焼失、複製が現存

03 / 臼杵城跡

大友宗麟が築いたとされる城が2025年、国史跡になった。

Ruin of Usuki castle Furuhashi gate.JPG
Photo by Twilight2640 (CC BY-SA 3.0)

大友義鎮(宗麟)が1562年ごろ、海に浮かぶ丹生島に築いたとされる臼杵城。亀の形に見えることから亀城とも呼ばれます。2024年12月20日に文化審議会が答申し、2025年3月10日、臼杵磨崖仏・下山古墳・下藤キリシタン墓地に次ぐ市内4件目の国史跡に指定されました。

  • 1562年ごろ 築城とされる
  • 2024年12月20日 文化審議会答申
  • 2025年3月10日 国史跡指定

くらし

大分駅から臼杵駅まで、特急が走る。

  • 人口4万人規模

2005年に臼杵市と野津町が合併した市です。市の玄関口はJR臼杵駅で、市役所まで徒歩10分。日豊本線の特急が大分駅・小倉駅とを結びます。2021年にはユネスコ創造都市ネットワーク(食文化分野)に加盟認定されました。

住んでいる人
36,158人
20052020

2015年より −6.7%

43,352 → 36,158人

面積
291.2km²

うち可住地 84.81km²

2024年

世帯数
14,749世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
4.0万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院4/診療所31

人口1万人あたり 9.7

2023年

面積291.2km²うち可住地84.81km² / 29%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103

人口は2005年以降(市域変更)。2005-01-01 に合併。2005年調査から市域が変わっている。

待機児童
—保育所等 9園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの臼杵市33.126°N 131.805°E
東京大阪臼杵市
臼杵市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

28.5km

津久見市・豊後大野市・佐伯市・大分市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

臼杵市は、こういう町です。

  1. 011600年、オランダ船リーフデ号が臼杵の黒島に漂着し、生存者のウィリアム・アダムス(三浦按針)はのちに徳川家康の外交顧問になりました。黒島には守り神エラスムス像のレプリカが立っています。
  2. 02磨崖仏として日本で初めて国宝になった臼杵石仏と、明石原人を発見した考古学者・直良信夫が生まれた二王座の切通しが、臼杵の歴史を物語ります。
  3. 03大友宗麟が築いたとされる臼杵城跡は、2025年に国史跡に指定されました。

気になったら、町に聞いてみませんか。