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よみもの

47327 / きたなかぐすくそん

沖縄県 中頭郡

北中城村

東・南・西を石垣で囲んだ、農家の屋敷。

中村家住宅

Photo by 663highland (CC BY 2.5)

01 / 荻堂貝塚

本土の縄文時代後期に並行する貝塚。出土品は、南島先史時代研究の標準資料だった。

荻道集落の北、標高約140mの丘陵の崖下にある貝塚で、貝層は厚いところで1.2mに達します。大正8年(1919)に東京帝国大学が発掘調査を行い、出土した土器は「荻堂式土器」と型式設定されました。

  • 1972年 国指定史跡
  • 貝層は厚いところで1.2m
  • 大正8年(1919)東京帝国大学が発掘調査

02 / 龕屋

龕を保管した建物の屋根は、二枚の石を組み合わせたアーチ。

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Photo by Bérangère444 (CC BY-SA 4.0)

龕(ガン)は、棺を墓まで運ぶ朱塗りの輿で、喜舎場では大戦後しばらくの間、使われていました。龕屋は集落の西はずれに北向きに建ち、琉球石灰岩の石組みで、幅3.4m・高さ1.9m・奥行き4.4mです。

  • 屋根は二枚の石をアーチ型に組み合わせ
  • 幅3.4m・高さ1.9m・奥行き4.4m
  • 1995年 村指定有形民俗文化財

03 / 印部土手石

「きしやはこし原」と刻まれた石が、元文検地の測量の目印だった。

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Photo by Bérangère444 (CC BY-SA 4.0)

琉球王府が元文検地(1737〜50年)で土地測量の目印と境界に使った石です。屋宜原公民館の敷地の2基には「きしやはこし原」と刻まれ、観光協会は、屋宜原が喜舎場後原と呼ばれ喜舎場に属していた裏付けとします。渡口の1基は村の史跡です。

  • 元文検地 1737〜1750年
  • 屋宜原公民館の敷地に2基
  • 渡口の1基は1997年 村指定史跡

くらし

東に中城湾を望む、鉄道の駅のない村。

  • 人口2万人規模
  • 郡部の町

北中城村は沖縄島中部にあり、東側を中城湾に面しています。村内に鉄道の駅はなく、玄関口は北中城村役場です。世界遺産の中城城跡は、中城村と北中城村にまたがっています。

住んでいる人
17,969人
19952020

2015年より +11.3%

15,023 → 17,969人

面積
11.54km²

うち可住地 9.48km²

2024年

世帯数
6,558世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
6.3万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院3/診療所7

人口1万人あたり 5.6

2023年

面積11.54km²うち可住地9.48km² / 82%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 5園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの北中城村26.301°N 127.793°E
東京大阪北中城村
北中城村の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

4.6km

沖縄市・北谷町・中城村・宜野湾市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

北中城村は、こういう町です。

  1. 01中村家住宅は、国指定重要文化財の農家の屋敷で、東・南・西を琉球石灰岩の石垣で囲み、内側に防風林の福木を植える。母屋・離れ・家畜小屋・フール(豚小屋)・高倉が建ち、現存する建物は18世紀中頃に建てられたと伝えられる
  2. 02荻堂貝塚は、荻道集落の北の崖下にある国指定史跡で、出土した土器は「荻堂式土器」と型式設定され、本土の縄文時代後期に並行する
  3. 03喜舎場の龕屋は、屋根が二枚の石のアーチで、村指定の有形民俗文化財。屋宜原と渡口には、元文検地の測量に使われた印部土手石が立つ

気になったら、町に聞いてみませんか。