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よみもの

27381 / たいしちょう

大阪府 南河内郡

太子町

岩を彫り残して、塔にした。

鹿谷寺跡|十三重の石塔

Photo by Saigen Jiro (CC0)

01 / 石槨

作業中に見つかった横口式石槨が、町の広場で展示されている。

Matsuizuka Kofun, sekkaku-1.jpg
Photo by Saigen Jiro (CC0)

昭和33年(1958)に見つかった古墳の石槨で、町は井戸掘りの作業中、府は水槽設置中の発見と記します。二上山の凝灰岩製で、小口に横口がつく形。発見当時は推古天皇陵の陪塚かと新聞をにぎわせ、いまは町の広場に移築展示されています。

  • 昭和33年に発見
  • 二上山の凝灰岩製
  • 府指定 1973年3月30日
  • 府の指定名は「松井塚古墳石棺」

02 / 石窟

奈良時代の石窟は、大小2基。造営にかかわった氏族は、わからない。

Iwaya (Taishi, Osaka), gaikan-2.jpg
Photo by Saigen Jiro (CC0)

竹内街道の間道、岩屋越の近くにある石窟寺院です。大きいほうの石窟は幅7.6m、高さ6.14m、奥行4.5mで、中央に凝灰岩の石塔が立ちます。町は、文献に記録がなく、造営にかかわった氏族もわからない謎の多い寺跡と案内します。

  • 大石窟 幅7.6m・高さ6.14m・奥行4.5m
  • 国史跡 1948年1月14日
  • 凝灰岩の石塔

03 / 人

春日から北海道へ入植した久蔵は、寒冷地の米づくりに挑んだ。

町は中山久蔵を、1828年生まれで、大阪の春日(太子町)から仙台藩を経て、1871年に北海道の島松(北広島市)へ入植した人と紹介します。1873年に寒冷地米「赤毛種」の栽培に挑み、北広島市は同年、反あたり345キログラムの収穫に成功したと記します。

  • 1828年生まれ
  • 1871年に島松へ入植
  • 1873年 反あたり345キログラムを収穫

くらし

上ノ太子駅前から、バスで6分。

  • 人口1万人規模
  • 郡部の町

町内に鉄道の駅はなく、最寄りは近鉄南大阪線の上ノ太子駅(羽曳野市)と長野線の喜志駅(富田林市)。町公式の時刻表(令和7年10月改正)では、上ノ太子駅前から太子町役場までたいしのってこバスで最短6分、喜志駅前から金剛ふるさとバスで最短11分。

住んでいる人
13,009人
19952020

2015年より −5.4%

12,872 → 13,009人

面積
14.17km²

うち可住地 8.99km²

2024年

世帯数
5,048世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所7

人口1万人あたり 5.4

2023年

面積14.17km²うち可住地8.99km² / 63%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの太子町34.519°N 135.648°E
東京太子町
太子町役場
太子町役場2007年
  • 上ノ太子まで路線バス6分
  • 喜志まで路線バス11分

所要時間は太子町公式『太子町内を走るバスの時刻表』(更新日 2026-04-01・令和7年10月1日から新ダイヤ・2026年4月更新で『バスのダイヤに変更ありません』)の PDF(https://www.town.taishi.osaka.jp/material/files/group/14/260401newjikoku.pdf・保存 $SP/osaka-taishi/bustt.pdf・16頁)。【上ノ太子→役場】たいしのってこバス(太子町コミュニティバス)の『太子中央循環線』山田廻り(平日表):上ノ太子駅前 8:06 発→太子町役場 8:12 着(6分)、8:39→8:45、12:25→12:31、17:56→18:02、20:11→20:17、22:56→23:02。(土・日・祝表):7:57→8:03、17:27→17:33、18:57→19:03、20:09→20:15、22:48→22:54。平日にも土日祝にも6分の便がある(毎日運転)。ほかの便は17分(太子廻り)や7分(春日廻り)。【喜志→役場】金剛ふるさとバス(近鉄バス)『喜志循環線』(全日=平日・休日共通の1枚の表):喜志駅前 11:10→太子町役場 11:21、12:10→12:21、16:35→16:46、17:25→17:36、18:15→18:26、19:35→19:46、20:25→20:36(いずれも11分・太子廻り)。ほかの便(6:30→6:47・7:15→7:32・8:10→8:27・9:10→9:27・10:10→10:27・13:35→13:52・14:25→14:42・15:10→15:27)は葉室廻りで17分。【町公式の目安】町公式『アクセス』(更新日 2023-12-21):『上ノ太子駅よりたいしのってこバス…「太子町役場」バス停下車(所要時間約10分)』『喜志駅より近鉄バスに乗車「太子町役場」バス停下車(所要時間約15分)』(2026-10-14 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・5市町村に、接している。

太子町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

4.9km

大阪府
河南町・羽曳野市・富田林市
奈良県
葛城市・香芝市

太子町は、こういう町です。

  1. 01鹿谷寺跡は、二上山の山麓にある奈良時代の石窟寺院の跡で、国の史跡。文化庁の解説は、石造の多重塔を地山の石を彫り残して造り出したもので、現存部は13重を数え頭部は破損していると記し、岩窟の奥壁には線彫の如来像3躯があるとする。同じ解説は、ここを石切場の跡とも認める
  2. 02町は、東にそびえる二上山を町のシンボルと紹介し、麓から産出するサヌカイトが旧石器時代以降、近畿一円で石器の材料に利用されたと記す。飛鳥時代には、南麓に推古天皇が整備した大道(のちの竹内街道)が置かれたと記す
  3. 03昭和31年に磯長村と山田村が合併し、聖徳太子にちなんで太子町と名付けられた。町は、町内に数多くの天皇・皇族クラスの古墳が築造され、一帯が「王陵の谷」と呼ばれるようになったと記す

気になったら、町に聞いてみませんか。