八丈町・玉石垣(島役所跡)
よみもの

13401 / はちじょうまち

東京都

八丈町

六法積みの石垣が、島の役所跡を囲む。

玉石垣|島役所跡

Photo by Geomr (CC BY-SA 3.0)

01 / 樫立の手踊

江戸時代の流人や漂流者が伝えた各地の盆踊を、綴り合せて踊る。

都の文化財情報によると、樫立の手踊は、江戸時代の流人や漂流者が伝えた各地の盆踊を綴り合せたものです。都指定の無形民俗文化財で、陰暦の盆と月見に、場踊のあとで踊ります。

  • 都指定無形民俗文化財(昭和35年2月13日)
  • 陰暦8月15日と9月13日
  • 場踊のあとに踊る

02 / ヘゴ自生北限地帯

幹が木質になるシダ、ヘゴの自生北限地帯が、八丈島にある。

八丈町のヘゴ自生北限地帯
Photo by さかおり (CC BY-SA 4.0)

町公式によると、ヘゴは幹が木質となるシダ類で、八丈島はその自生北限地帯として指定されています。大正15年に国の天然記念物となり、八丈町の鴨川山・成沢山・ナン沢のほか3県にまたがります。

  • 国指定天然記念物(大正15年10月27日)
  • 八丈町の鴨川山・成沢山・ナン沢
  • ほか3県にも指定地

03 / 黄八丈の染め

島の草木の灰汁や樹皮で、黄・茶・黒に染め出す。

文化庁の解説によると、黄八丈は縞の絹織物で、コブナグサと椿・榊の枝葉の灰汁で黄色、イヌグスの樹皮と灰汁で茶色、椎の樹皮と泥づけで黒色を染め出します。国の選択無形文化財です。

  • 黄は八丈刈安(コブナグサ)
  • 茶はマダミ(イヌグス)
  • 国選択(昭和32年3月30日)

空から見た八丈町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2013年5月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

八丈島へは、船か飛行機で渡る。

  • 人口7千人規模

町公式によると、東京・竹芝桟橋から底土港または八重根港へ、東海汽船の定期便が1日1往復就航し、所要は片道約11時間です。羽田空港からはANAの定期便が1日3往復就航し、約55分です。

住んでいる人
7,042人
19952020

2015年より −7.5%

9,476 → 7,042人

面積
72.24km²

うち可住地 32.63km²

2024年

世帯数
3,767世帯

1世帯 1.9人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所2

人口1万人あたり 4.3

2023年

面積72.24km²うち可住地32.63km² / 45%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの八丈町33.109°N 139.791°E
東京大阪八丈町
底土港
底土港2008年
  • 東京まで東海汽船625分

所要時間は東海汽船公式の時刻表(https://www.tokaikisen.co.jp/boarding/timetable/10-1%ef%bd%9e2027-1-31/ 、乗船日 10/29~2027/1/31 の表。2026-10-22 に読んだ)の大型客船(運航便コード3400『東京~三宅島・御蔵島・八丈島航路』)。運航日『毎日』。東京(竹芝)発22:30→八丈島着 翌8:55=625分(上りは便コード2400『毎日』八丈島発9:40→東京着19:50)(2026-10-22 確認)。時間帯により異なります。

かたち

0市町村に、接している。

八丈町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

12.8km

八丈町は、こういう町です。

  1. 01八丈島役所跡は大里にあり、享禄2年(1529)に陣屋が置かれ、明治41年(1908)に支庁が向里へ移るまで380年間、島の政治の中心だった。島役所跡を囲む玉石垣は、六法積みと呼ばれる技法で積まれている
  2. 02八重根のメットウ井戸は、深さ約8mの螺旋形の井戸で、石碑の銘文から明治13年(1880)頃に造られたと推定されている。末吉水碑は、嘉永元年(1848)に水道を敷設した記念碑
  3. 03高倉は多雨湿潤の風土と鼠害から収穫物を守るための高床の倉で、六脚倉・十二脚倉が都の有形文化財。湯浜遺跡は神津島産の黒曜石が運ばれてきた縄文の遺跡で、現地は埋め戻されている

気になったら、町に聞いてみませんか。