板橋区・志村一里塚(中山道)
よみもの

13119 / いたばしく

東京都

板橋区

中山道が広がっても、一里塚は動かなかった。

志村一里塚|中山道

Photo by Missmikage (CC BY-SA 3.0)

01 / 民俗芸能

太鼓を田に見立て、一年の稲作を演じる。

板橋区の民俗芸能
Photo by 柏木村民 (CC BY-SA 4.0)

徳丸北野神社は2月11日、赤塚諏訪神社は2月13日の夜に行う田遊び。文化庁によると、社殿前庭の太鼓を田に見立て、苗代作りから収穫までの農作業を唱え言と所作で模し、豊作を予祝する。両社の田遊びは「板橋の田遊び」として国の重要無形民俗文化財。

  • 徳丸北野神社 2月11日
  • 赤塚諏訪神社 2月13日
  • 1976年 国の重要無形民俗文化財

02 / 旧石器

道路の切通しの赤土から、黒曜石の石器が見つかった。

板橋区の旧石器
Photo by The Nature Box (CC0)

1951年3月、当時中学生の瀧澤浩さんが、小茂根の切通し道路の断面の関東ローム層から、黒曜石製の石器と礫の集中を見つけた。同年7月の発掘で旧石器時代の痕跡を確認。出土のナイフ形石器は「茂呂型ナイフ形石器」と名付けられた。茂呂遺跡は都指定の史跡。

  • 1951年3月 発見
  • 同年7月 発掘調査
  • 都指定の史跡

03 / 町家

調査で棟札が見つかり、街道沿いの米屋の建った年が分かった。

板橋区の町家
Photo by Suikotei (CC BY-SA 4.0)

仲宿の板五米店は、区の登録有形文化財(建造物)。調査で棟札が見つかり、当主が大正3年(1914)に建て、棟梁は市川寅吉と分かった。中山道に面した町家の系譜を引く土蔵造で、煉瓦の袖卯建が和風の建物に洋風の意匠を添える。

  • 大正3年(1914)建立
  • 土蔵造・煉瓦の袖卯建
  • 2020年 区の登録有形文化財

空から見た板橋区

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2019年6月〜11月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

区役所は、三田線の駅から歩いて1分。

  • 人口58万人規模

板橋区役所へは、都営三田線の板橋区役所前駅のA3出口から徒歩1分、東武東上線の大山駅から徒歩10分と区は案内しています。池袋駅からは、国際興業バスの池21・池20で板橋区役所停留所まで、乗り換えなしで行けます。

住んでいる人
584,483人
19952020

2015年より +4%

511,415 → 584,483人

面積
32.22km²

うち可住地 32.22km²

2024年

世帯数
314,446世帯

1世帯 1.9人

2020年

家賃(借家の平均)
7.5万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院41/診療所399

人口1万人あたり 7.5

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 109園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの板橋区35.751°N 139.709°E
大阪板橋区
板橋区の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

7.2km

埼玉県
戸田市・和光市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

板橋区は、こういう町です。

  1. 01志村一里塚は、江戸日本橋から数えて中山道の3番目の一里塚。国の史跡で、昭和8年に完成した中山道の拡幅でも、移動したり削られたりしていないと区は記す
  2. 02板橋の田遊びは国の重要無形民俗文化財、茂呂遺跡は都指定の史跡。区内にはほかに、縄文時代早期の稲荷台遺跡の出土品(都指定)や、水垢離場だった不動の滝(区登録の史跡)がある
  3. 03旧中山道が石神井川を渡る橋「板橋」は、地名の由来ともいわれる。区は、都内でも有数の工業集積地と記す

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。