01 / 三戸城跡
安政4年の絵図が廃城時の三戸城をよく表すと、発掘で明らかになった。
文化庁によると、安政4年(1857)成立の絵図は、門の位置や城道を現地で照合できる精密な測量図で、2004〜2019年度の発掘調査で廃城時の状況をよく表すと確かめられました。大手は西側で、町は綱門跡から入ると案内します。写真の綱門は復元です。
- 2022年 国史跡
- 安政4年(1857)の絵図
- 発掘調査 2004〜2019年度
01 / 三戸城跡
文化庁によると、安政4年(1857)成立の絵図は、門の位置や城道を現地で照合できる精密な測量図で、2004〜2019年度の発掘調査で廃城時の状況をよく表すと確かめられました。大手は西側で、町は綱門跡から入ると案内します。写真の綱門は復元です。
02 / 泉山の登拝行事
毎年旧暦6月12日の朝、数え年7歳になる男児が村の月山神社にお参りし、名久井岳の第2峰・月山まで登ります。県は、七つ子参りが全国にある中、本県では泉山だけに残ると記します。
03 / 唐馬の碑
県史跡の唐馬の碑は、八代将軍吉宗から盛岡藩に下賜されたペルシャ産の馬の碑です。馬は三戸代官所管内の住谷野に放たれて種馬に用いられ、9歳で死ぬと、御野馬別当の石新右衛門が追善のため馬頭観世尊としてまつり、句2句を添えて建てたと県は記します。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2021年5月〜10月撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
町内の鉄道の駅は、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道が乗り入れる目時駅だけです。町公式のアクセス案内は、東北新幹線の二戸駅から青い森鉄道の三戸駅(南部町)まで16分、八戸駅から23分と載せています(2025年6月26日更新)。
2015年より −10.4%
13,740 → 9,082人
うち可住地 50.8km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
人口1万人あたり 4.4
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
気になったら、町に聞いてみませんか。