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よみもの

21362 / せきがはらちょう

岐阜県 不破郡

関ケ原町

関が廃されたあとに、関守が任命されたと考えられる。

不破関跡|関守の屋敷跡

Photo by 先従隗始 (CC0)

01 / 家康最後陣地

合戦の241年後に、幕命を受けた領主が土塁と土壇を造った。

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Photo by Tuyuhun (CC BY-SA 4.0)

国の史跡「関ヶ原古戦場」の一部で、関ケ原駅から徒歩10分の陣場野公園にあります。文化庁の解説は、天保12年(1841)に幕命で領主竹中氏が造った土塁と土壇があると記します。土壇の中央に標柱が建ちます。

  • 国史跡 1931年3月30日指定
  • 土塁と土壇 天保12年(1841)
  • 駅から徒歩10分

02 / 寝物語の里

見落とすほど小さな溝が、かつて美濃と近江の国境だった。

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Photo by Gohachiyasu1214 (CC BY-SA 4.0)

溝のそばに国境の標柱が建ちます。静御前が近江側の宿から、美濃側の宿の義経の家来に同行を頼んだという話があり、両国の旅人が寝ながら語ったことから土地の人が名付けたといいます。観光協会が紹介する伝承です。

  • 岐阜県と滋賀県の県境
  • かつての美濃と近江の国境
  • 静御前と義経の家来の話(伝承)

03 / 今須宿問屋場

7軒あった今須宿の問屋場の一つは、棟札で文政11年(1828)建築と分かる。

問屋場は、人馬の継ぎ立てなど宿場の事務を担った所です。町は今須宿に7軒あったと記し、調査で棟札から文政11年(1828)の建築と分かった旧山崎家住宅を、2025年2月に町の有形文化財に指定しました。指定の概要は、美濃16宿で唯一の遺構といわれると記します。

  • 町有形文化財 2025年2月17日指定
  • 文政11年(1828)上棟
  • 今須宿の問屋場は7軒

くらし

名古屋から東海道線で47分、県の西端の町。

  • 人口7千人規模
  • 都心まで60分
  • 郡部の町

岐阜県の西端にあり、北は伊吹山地、南は鈴鹿山脈に囲まれ、町土の約80%を山林が占めます。面積は49.28km²。関ケ原駅から役場まで徒歩5分で、名古屋から東海道線で47分です。

住んでいる人
6,610人
19952020

2015年より −10.9%

9,405 → 6,610人

面積
49.28km²

うち可住地 11.27km²

2024年

世帯数
2,507世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所5

人口1万人あたり 7.6

2023年

面積49.28km²うち可住地11.27km² / 23%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの関ケ原町35.365°N 136.467°E
東京関ケ原町
関ケ原駅
関ケ原駅2024年
  • 名古屋までJR東海道線47分

所要時間はJR西日本『JRおでかけネット』の区間時刻表(東海道本線 米原〜浜松。JR東海の区間も載る)を2026-10-15(木)・10-17(土)・10-18(日)の日付で引き、3日とも同じ時刻で走る列車だけを毎日運転として数えた(2026-10-15 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・4市町村に、接している。

関ケ原町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

12.0km

岐阜県
大垣市・垂井町・揖斐川町
滋賀県
米原市

関ケ原町は、こういう町です。

  1. 01不破関跡は町・県の史跡で、町は一帯を関守の屋敷跡とする。関守は延暦8年(789)の関の停廃以後に任命されたと考えられるという。近くの兜掛石・沓脱石は、大海人皇子が使ったとされる石
  2. 02徳川家康最後陣地は、国の史跡「関ヶ原古戦場」の一部。寝物語の里は美濃と近江の国境だった小さな溝で、いまは県境に標柱が建つ
  3. 03今須宿問屋場(旧山崎家住宅)は町の有形文化財で、町は今須宿に問屋が7軒あったと記す。本陣跡のスダジイは県・町の天然記念物、藤古川のホタルは町の天然記念物

気になったら、町に聞いてみませんか。