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よみもの

34214 / あきたかたし

広島県

安芸高田市

人柱に替えて、文字の石を埋めさせたという。

百万一心碑|毛利元就墓所

Photo by TT mk2 (CC BY-SA 3.0)

01 / 甲立古墳

後円部の頂に、家の形の埴輪が5つ一列に並んでいた。

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Photo by Saigen Jiro (Public domain)

2008年1月に山林で見つかった、全長77.5mの前方後円墳です。後円部の墳頂から、5基の家形埴輪を一列に並べた石敷きの区画が出ました。最も残りのよい2号家形埴輪は復元され、高さ約70cmの高床式の建物とわかりました。4世紀後半の築造です。

  • 全長77.5m
  • 家形埴輪5基が一列
  • 2号家形埴輪は高さ約70cm

02 / 分水界泣き別れ

三篠川の谷が、北へ流れる川を奪ったと考えられている。

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Photo by Lumi iori (CC BY-SA 3.0)

戸島の標高205mの地点は、雨水が南は太田川、北は江の川へ分かれる分水界で、「泣き別れ」と呼ばれます。国土交通省は、三篠川の谷が北へ流れる川を奪い取ったと考えられると説明します。名は、雨水が泣いて別れたのだろうと人々が推し量ってつけたものです。

  • 標高205m
  • 南は太田川・北は江の川へ
  • 市指定天然記念物(1989年)

03 / 多治比猿掛城跡

元就が4歳で移り住み、27歳で戻るまで過ごした城。

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Photo by Kuma83 (Public domain)

明応9年(1500)、当時4歳の元就は父弘元の隠居に伴い、郡山城からこの山城に移りました。27歳で本家を相続して郡山城に戻るまでを、ここで過ごしました。本丸の南側には巨大な堀切が残り、山麓には弘元夫妻の墓があります。

  • 1500年に4歳で移る
  • 27歳で郡山城へ戻る
  • 国史跡「毛利氏城跡」の一つ

くらし

神楽も、はやし田も、断層も、高宮町にある。

  • 人口3万人規模

高宮町には、県の無形民俗文化財の神楽団が6つあり、高宮神楽まつりが毎年10月第2土曜に開かれます。原田では、国の重要無形民俗文化財「安芸のはやし田」の公開日が、毎年5月最終日曜です。佐々部には、国の天然記念物の船佐逆断層があります。

住んでいる人
26,448人
20052020

2015年より −10.3%

33,096 → 26,448人

面積
537.71km²

うち可住地 110.75km²

2024年

世帯数
11,060世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
4.2万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院1/診療所28

人口1万人あたり 11.0

2023年

面積537.71km²うち可住地110.75km² / 21%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 12園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・5市町村に、接している。

日本のなかの安芸高田市34.666°N 132.704°E
東京大阪安芸高田市
安芸高田市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

35.2km

広島県
三次市・北広島町・広島市・東広島市
島根県
邑南町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

安芸高田市は、こういう町です。

  1. 01百万一心碑は、吉田町の毛利元就墓所にある碑です。元就が郡山城を拡張する際の伝説で、人柱に替えて礎石に「百万一心」と彫らせ、埋めさせたといわれます。現在の碑は昭和6年の建立です。
  2. 02甲田町の甲立古墳は、全長77.5mの前方後円墳で、後円部の墳頂に家形埴輪が5基並んでいました。向原町戸島の分水界泣き別れでは、雨水が南は太田川、北は江の川へ分かれます。
  3. 03吉田町の多治比猿掛城跡は、元就が4歳から27歳まで過ごした山城です。高宮町には、県の無形民俗文化財の神楽団が6つあり、国の重要無形民俗文化財の安芸のはやし田と、国の天然記念物の船佐逆断層もあります。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。