Suemori Castle.jpg
よみもの

17386 / ほうだつしみずちょう

石川県 羽咋郡

宝達志水町

加賀百万石の基礎と伝わる、末森の一戦。

末森城跡|末森合戦

Photo by ja:user:Akimoto (CC BY-SA 3.0)

01 / 散田金谷古墳

屋根に千木を載せたような家形石棺が、石室に眠る。

6世紀後半に築かれたとされる円墳で、全長10mの横穴式石室の奥に、屋根に千木を載せた形の「家形石棺」が納められている。武具や馬具、須恵器も出土した。国指定史跡で、屋外のスイッチを押すと石室内が10分間照らされる。

  • 6世紀後半 築造とされる円墳
  • 横穴式石室 全長10m
  • 国指定史跡

02 / おだまき

苧麻の糸を束ねた「小田巻」の名を、餅菓子が、いまに伝える。

旧志雄町では糸の原料になる苧麻(ちょま)が多く作られ、子浦川沿いには繊維工場が並んだ。束ねた糸の形「小田巻」にちなむという餅菓子「おだまき」を、谷口製菓が一つずつ手作業で作り続けている。皮には、糸をイメージした線が引かれている。

  • 原料は苧麻(ちょま)の糸
  • 「小田巻」の形にちなむ名という
  • 谷口製菓が一つずつ手作業で製造

03 / 宝達山の金山

加賀藩を支えた金鉱は、山の中腹に坑道跡を残す。

Mount Hodatsu 01.jpg
Photo by Saigawasakurabashi (CC BY-SA 3.0)

標高637mの宝達山は、加賀藩の記録では1584年に金山が開かれたとある。1628年の大規模な崩落まで約半世紀、加賀藩を支えた金鉱で、大判にして約3500枚が採れた年もある。中腹の「中尾平」には坑道の開口部跡が残り、登山道「こぶしの路」を使えば山頂まで歩いて上れる。

  • 1584年 金山開山と加賀藩の記録に残る
  • 1628年 大規模な崩落まで採掘
  • 登山道「こぶしの路」は開山期間4月23日〜11月23日

くらし

山と川と海に囲まれ、扇状地に水田が広がる。

  • 人口1万人規模
  • 郡部の町

東部は宝達山の丘陵、中央部は子浦川など5つの川がつくる扇状地、西部は日本海沿いの砂丘地。2005年、志雄町と押水町が合併して生まれた。面積は111.51km2で、田が町域の3割を占める。JR七尾線の3駅(免田・宝達・敷浪)が南北に走る。

住んでいる人
12,121人
20052020

2015年より −8%

15,236 → 12,121人

面積
111.51km²

うち可住地 41.6km²

2024年

世帯数
4,428世帯

1世帯 2.7人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所5

人口1万人あたり 5.0

2023年

面積111.51km²うち可住地41.6km² / 37%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 5園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・5市町村に、接している。

日本のなかの宝達志水町36.863°N 136.798°E
東京大阪宝達志水町
宝達志水町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

15.0km

石川県
羽咋市・かほく市・津幡町
富山県
氷見市・高岡市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

宝達志水町は、こういう町です。

  1. 01末森山にある末森城跡は、1584年の末森合戦の舞台。前田利家の来援で落城を免れ、加賀百万石の基礎となったと伝わる。
  2. 02散田金谷古墳は6世紀後半の円墳で、全長10mの横穴式石室に、屋根に千木を載せた形の家形石棺が納められている。国指定史跡。
  3. 03旧志雄町の繊維業にちなむ餅菓子「おだまき」を、谷口製菓が一つずつ手作業で作り続けている。宝達山には、加賀藩を支えた金鉱の跡が残る。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。