加茂遺跡出土 牓示札木簡 (複製).JPG
よみもの

17361 / つばたまち

石川県 河北郡

津幡町

村人への触れが、木の札に残っていた。

加賀郡牓示札

Photo by Saigen Jiro (Public domain)

01 / 倶利迦羅不動寺

約1300年前に彫られたと伝わる不動明王が、いまも峠を守る。

Kurikara Fudoji Temple.jpg
Photo by Fred Cherrygarden (CC BY 4.0)

養老2年(718)、元正天皇の勅願によりインドの高僧が彫ったと伝わる倶利迦羅不動明王。合戦で堂宇は焼け、源頼朝が再興。日本三不動の一つとされ、ふもとの倶利伽羅駅前には火牛の計を伝える像が立つ。

  • 718年 創建と伝わる
  • 1183年 合戦で焼失、頼朝が再興
  • 日本三不動の一つとされる

02 / 大の里

小学生時代に通った、地元の相撲教室から横綱が育った。

Ōnosato Daiki (2024).jpg
Photo by Nigtknjetssnmc182 (CC BY-SA 4.0)

第75代横綱・大の里泰輝は、石川県河北郡津幡町の出身。1973年開設の津幡町少年相撲教室に小学生時代から通い、稽古を積んだ。2025年6月には、昇進を祝うパレードが町なかで開かれた。

  • 1973年 津幡町少年相撲教室 開設
  • 小学生時代に同教室で稽古
  • 2025年6月 昇進パレード

03 / 津幡漕艇競技場

河北潟の水路に、「ボートの町」の名がある。

河北潟東部承水路にある石川県津幡漕艇競技場は1973年開設、1500m×6レーンの規模。1976年と1985年にインターハイ、1991年に石川国体の会場になった。町観光協会は「ボートの町」として全国的に知られるとし、毎年8月に「つばたレガッタ」が開かれる。

  • 1973年 開設、1500m×6レーン
  • 1976・1985年 インターハイ会場
  • 1991年 石川国体会場

くらし

町の東部は丘陵、西部は河北潟へと続く。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

津幡町は加賀・能登・越中を結ぶ交通の要衝として栄えた。面積は110.59km2。稲作を主軸に、まこもたけ・おまん小豆などが「津幡ブランド」として売られている。

住んでいる人
36,957人
19952020

2015年より 0%

30,318 → 36,957人

面積
110.59km²

うち可住地 54.25km²

2024年

世帯数
13,399世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
4.6万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所20

人口1万人あたり 6.0

2023年

面積110.59km²うち可住地54.25km² / 49%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 11園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・6市町村に、接している。

日本のなかの津幡町36.669°N 136.729°E
東京大阪津幡町
津幡町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

17.2km

石川県
かほく市・金沢市・宝達志水町・内灘町
富山県
小矢部市・高岡市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

津幡町は、こういう町です。

  1. 01加茂遺跡から出土した「加賀郡牓示札」は、平安時代の村人への触れ書き。実物は石川県埋蔵文化財センターが保管し、津幡ふるさと歴史館「れきしる」では複製が見られる。
  2. 02倶利伽羅峠の石川県側には、718年創建と伝わる倶利迦羅不動寺があり、日本三不動の一つとされる。ふもとの倶利伽羅駅前には、火牛の計を伝える像が立つ。
  3. 03町出身の大の里は第75代横綱。1973年設立の少年相撲教室で稽古を積んだ。河北潟東部承水路の津幡漕艇競技場は、全国大会も開かれてきた「ボートの町」の舞台。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。