Uchinada Bridge.jpg
よみもの

17365 / うちなだまち

石川県 河北郡

内灘町

放水路で分かれた町を、橋がひとつに結ぶ。

サンセットブリッジ内灘

Photo by Hirorinmasa (CC BY-SA 3.0)

01 / 粟ヶ崎遊園

大正14年、内灘の砂丘に「北陸の宝塚」が開園した。

材木商・平澤嘉太郎が1925年7月、内灘の砂丘に粟ヶ崎遊園を開きました。敷地は約6万坪、500人収容の大劇場では専属の少女歌劇団が舞台を務め、「北陸の宝塚」と呼ばれました。1929年の火災で大劇場を焼きましたが再開し、1944年まで約20年間営業しました。

  • 1925年7月19日 開園(大正14年)
  • 敷地 約6万坪・大劇場500人収容
  • 1944年 閉園(約20年間営業)

02 / 内灘闘争

砂丘を舞台に、戦後初の基地反対闘争。

Uchinada, Ishikawa - 1953 - Kimura Ihei.png
Photo by Ihei Kimura (Public domain)

1952年、在日米軍が朝鮮戦争を背景に内灘砂丘への砲弾試射場の提供を求めました。村民は反対に立ち上がり、1953年6月には試射場内16か所に小屋を建てて座り込みを続けました。同年9月、期限付きの使用を条件に受け入れ、1957年3月、砂丘は静けさを取り戻しました。

  • 1952年 米軍が試射場の提供を要求
  • 1953年6月 座り込み小屋 16か所
  • 1957年3月30日 内灘砂丘が県へ返還

03 / 内灘餅

西荒屋のピーナッツ餅を、『内灘餅』として売り出した。

内灘町西荒屋地区では、砂丘で穫れる落花生を使ったピーナッツ餅が、昔から子どものおやつとして親しまれてきました。地域おこし団体「西荒屋営農促進会」が『内灘餅』として、もち米も落花生も内灘産にこだわり、ひとつひとつ手作業で作っています。

  • 原料は町内産の餅米と砂丘産の落花生
  • 地域おこし団体「西荒屋営農促進会」が製造
  • 生餅1個(75g)150円

くらし

砂丘の畑に、らっきょうと落花生が実る。

  • 人口3万人規模
  • 郡部の町

内灘砂丘の畑では、まちおこしグループ「おいCまち内灘」が『砂丘の真珠』と名づけたらっきょうを手掘りで育てています。西荒屋地区の落花生とあわせ、砂丘の畑はいまも内灘の暮らしを支えています。

住んでいる人
26,574人
19952020

2015年より −1.5%

26,367 → 26,574人

面積
20.33km²

うち可住地 16.61km²

2024年

世帯数
10,802世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
5.0万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所15

人口1万人あたり 6.4

2023年

面積20.33km²うち可住地16.61km² / 82%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 7園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの内灘町36.654°N 136.645°E
東京大阪内灘町
内灘町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

8.4km

金沢市・かほく市・津幡町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

内灘町は、こういう町です。

  1. 01内灘町は、河北潟放水路で南北に分かれる砂丘の町です。2001年開通のサンセットブリッジ内灘(内灘大橋)が、分かれた町を橋でつないでいます。
  2. 02大正から昭和にかけて、砂丘には『北陸の宝塚』と呼ばれた粟ヶ崎遊園がありました。1950年代には、米軍の試射場の受け入れをめぐる内灘闘争の舞台にもなりました。
  3. 03西荒屋地区のピーナッツ餅『内灘餅』や、砂丘で育つらっきょう『砂丘の真珠』など、砂丘の畑の恵みが今も暮らしを支え、毎年5月には『世界の凧の祭典』でにぎわいます。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。