平泉町・旧覆堂(金色堂の覆い)
よみもの

03402 / ひらいずみちょう

岩手県 西磐井郡

平泉町

金色堂を護った堂は、いま移されて立つ。

旧覆堂|金色堂の覆い

Photo by Tak1701d (CC BY-SA 3.0)

01 / 水路

毛越寺庭園の遣り水の取り入れ口を、照井堰の水路沿いに見て歩く。

平泉町の水路
Photo by Indiana jo (CC BY-SA 4.0)

農水省の水土里の路は、照井堰水路脇の散策路から「毛越寺庭園に濯がれる遣り水の取入」を見学するコースを紹介します。照井堰用水は一関市と平泉町の水田を潤す農業用水で、奥州藤原時代に開削されたと農水省は伝え、2016年に世界かんがい施設遺産に登録されました。

  • 世界かんがい施設遺産 2016年
  • 受益 約1,920ha(一関市・平泉町)
  • 幹線用水路 約64km

02 / 庭園

毛越寺の遣水は礫と景石で覆われ、観自在王院の遣水は素掘りに近い。

平泉町の庭園
Photo by 663highland (CC BY-SA 4.0)

文化庁は名勝「旧観自在王院庭園」を、遣水の全体を礫と景石で覆う毛越寺庭園に比べ、ごくわずかの石材のみを用いたほとんど素掘りに近い構造と説明します。池の水は毛越寺の弁天池が水源で、遣水が池に流れ込む位置には石組の滝があります。

  • 名勝指定 2005年
  • 池の水源は毛越寺の弁天池
  • 庭園の修復・整備 昭和48〜53年度

03 / 岩屋

岩屋の堂の前の池は、藤原氏の時代までさかのぼると考えられている。

平泉町の岩屋
Photo by 663highland (CC BY-SA 4.0)

達谷窟は、東西約150m・最大の高低差約35mの岸壁の下の岩屋に、懸造の窟毘沙門堂が建つ国史跡です。昭和63年の発掘で堂の前から池の護岸とみられる石組と12世紀後半のかわらけが出て、文化庁は池が藤原氏の時代までさかのぼると考えられるとします。

  • 国史跡 2005年
  • 岸壁 東西約150m
  • かわらけは12世紀後半

空から見た平泉町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2020年3月〜4月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

一ノ関駅から、東北本線で8分の町。

  • 人口7千人規模
  • 郡部の町

町の交通案内では、東京から一ノ関駅まで東北新幹線で2時間10分、一ノ関駅から平泉駅までは東北本線で8分です。平泉駅から毛越寺まで0.7km、中尊寺まで1.6km、達谷窟毘沙門堂まで6.0kmと案内されています。農業が盛んで、お米の産地と町は紹介します。

住んでいる人
7,252人
19952020

2015年より −7.8%

9,288 → 7,252人

面積
63.39km²

うち可住地 32.71km²

2024年

世帯数
2,409世帯

1世帯 3.0人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所4

人口1万人あたり 5.5

2023年

面積63.39km²うち可住地32.71km² / 52%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

2市町村に、接している。

日本のなかの平泉町38.987°N 141.114°E
東京大阪平泉町
平泉町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

8.8km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

平泉町は、こういう町です。

  1. 01旧覆堂は金色堂を風雪から護るために設けられた覆屋で、町は「600年ほど前に建てられ、昭和37年まで護ってきた」と紹介し、新覆堂の建設にともなって現在の場所に移設された
  2. 02毛越寺庭園の遣り水の取り入れ口は照井堰の水路沿いにあり、照井堰用水は世界かんがい施設遺産。観自在王院跡の遣水は、毛越寺と違って素掘りに近い構造と文化庁が説明する
  3. 03達谷窟は岸壁の下の岩屋に窟毘沙門堂が建つ国史跡で、堂の前の池は藤原氏の時代までさかのぼると考えられる。町の交通案内では、一ノ関駅から東北本線で8分

気になったら、町に聞いてみませんか。