湯川村・北田城跡(日橋川の段丘)
よみもの

07422 / ゆがわむら

福島県 河沼郡

湯川村

二つの川の合流点の南西に、河原より5m高い平城。

北田城跡|日橋川の段丘

Photo by Tail furry (CC BY-SA 4.0)

01 / 薬師堂

会津中央薬師堂と呼ばれる元講堂は、桁行五間・梁間五間の寄棟造。

湯川村の薬師堂
Photo by Qwert1234 (CC BY-SA 3.0)

村公式は、元講堂は応永5年(1398)の再建で、会津中央薬師堂と呼ばれると記します。桁行五間・梁間五間の寄棟造の大堂宇です。国宝の脇侍の日光・月光は、寺伝では名が逆で、明治36年の国指定のとき現在の名に変えられたといいます。

  • 国の重要文化財(明治36年指定)
  • 応永5年(1398)の再建
  • 桁行五間・梁間五間

02 / 村の名

二つの村を分けていた川の名が、合併してできた村の名になった。

明治22年の町村制で、湯川を境に笈川村と勝常村に分かれて行政を進めました。昭和32年に再び合併するとき、境を流れていた湯川にちなんで湯川村と命名したと、村公式は記します。

  • 湯川を境に笈川村と勝常村
  • 昭和32年3月31日に合併
  • 村名は湯川にちなむ

03 / 地形

標高は約180m、村に山が無い。「一枚の田んぼ」ともいわれる。

村公式は、標高約180mで山が無い村であることも特徴と紹介します。村の観光リーフレットは、標高差がほとんど無いことから「湯川村が一枚の田んぼ」といわれることもしばしばと記し、4km四方の小さな村と呼びます。

  • 標高約180m
  • 4km四方の小さな村
  • 「湯川村が一枚の田んぼ」

空から見た湯川村

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2011年10月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

村内の駅は、磐越西線の笈川駅だけ。

  • 人口3千人規模
  • 郡部の町

村内の駅は磐越西線の笈川駅1つです。JR東日本の時刻表(2026年11月号)では、会津若松駅発の下りで笈川駅に停まる列車は平日・土休日とも1日5本です。村は会津盆地のほぼ中央に位置し、村公式は面積16.37km²で福島県内でいちばん小さい自治体と紹介します。

住んでいる人
3,081人
19952020

2015年より −3.9%

3,642 → 3,081人

面積
16.37km²

うち可住地 16.37km²

2024年

世帯数
976世帯

1世帯 3.2人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所1

人口1万人あたり 3.2

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に囲まれ、ほとんどが平地。

日本のなかの湯川村37.566°N 139.887°E
東京大阪湯川村
湯川村の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

5.6km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

湯川村は、こういう町です。

  1. 01北田城跡は、日橋川と湯川の合流点の南西にある河岸段丘上の平城で、村指定史跡。村公式は、1193年に佐原次郎広盛が築いて居住したと記す
  2. 02勝常寺の元講堂(会津中央薬師堂)は国の重要文化財で、桁行五間・梁間五間の寄棟造。村公式は応永5年(1398)の再建と記す
  3. 03村の名は、笈川村と勝常村の境を流れていた湯川にちなみ、昭和32年の合併で付けられた。標高約180mで山が無い村

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。