01 / 菰野藩
藩主の転封もなく、約270年、菰野城は土方氏の居城だった。

初代藩主が慶長5(1600)年に家康から菰野一万二千石を与えられ、12代が明治2(1869)年に廃藩を迎えるまで、藩主の転封はありませんでした。町はこれを江戸時代を通じて見ても珍しいとします。城跡は小学校の敷地で、見性寺には歴代藩主らの墓碑26基が並びます。
- 約270年間、藩主の転封なし
- 一万二千石
- 歴代藩主らの墓碑26基
01 / 菰野藩

初代藩主が慶長5(1600)年に家康から菰野一万二千石を与えられ、12代が明治2(1869)年に廃藩を迎えるまで、藩主の転封はありませんでした。町はこれを江戸時代を通じて見ても珍しいとします。城跡は小学校の敷地で、見性寺には歴代藩主らの墓碑26基が並びます。
02 / 五百羅漢

嘉永5(1852)年に竹成出身の和尚が建立を発願し、慶応2(1866)年に完成しました。地元の土を運んで築いた小山の上に469の石像が並び、羅漢像395のほか、閻魔大王や七福神、天照大神などの像も混じります。
03 / コモノギク

コモノギクは、御在所岳の谷間の湿気の多い岩の上などで見られ、7月から9月に紫の花が咲きます。産地の菰野にちなんで名付けられ、町の花です。安政5(1858)年に御在所岳周辺へ植物採集に登った様子は、扁額『菰野山采薬』に描かれました。
くらし
三重郡の町で、西に鈴鹿国定公園の山脈、東に平野が広がります。山脈には御在所岳(1,212m)・鎌ケ岳・釈迦ケ岳が並び、三滝川と朝明川が、ゆるやかな丘陵と扇状地をつくります。最寄り駅は近鉄湯の山線の中菰野駅で、役場まで徒歩約15分です。
2015年より +0.9%
35,117 → 40,559人
うち可住地 53.41km²
2024年
1世帯 2.6人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 6.2
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
11.3km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
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