利府町・染殿神社(蓋草神社)
よみもの

04406 / りふちょう

宮城県 宮城郡

利府町

染料の草の名で、古文書に載る社。

染殿神社|蓋草神社

Photo by Bachstelze (CC BY-SA 3.0)

01 / 窯跡

「宮城郡」と刻まれた須恵器が、8世紀前半の窯跡から見つかった。

春日窯跡群の一つ、硯沢窯跡の8世紀前半の窯跡から、「宮城郡」「宮木」と刻書された須恵器が見つかり、町指定文化財です。町は、少なくとも8世紀前半には宮城郡が置かれていたことを示す資料と説明します。

  • 町指定文化財
  • 8世紀前半の須恵器窯跡
  • 「宮城郡」「宮木」の刻書

02 / 横穴墓

7世紀の初め頃に造られ始めた横穴墓が、13世紀頃には修行の場になった。

菅谷横穴墓群の総数は、100基とも200基とも言われます。13世紀頃に仏教の修行の場として再利用され、「弘安六年(1283年)」の日付が読める写経石も見つかりました。壁面を削った磨崖仏は穴薬師と呼ばれ、9世紀頃に慈覚大師が造立したと伝えられます。

  • 7世紀の初め頃に造られ始めた
  • 写経石 弘安六年(1283年)
  • 穴薬師は9世紀頃の造立と伝わる

03 / 菅薦

町のシンボルネーム「十符の里」は、「十符の菅薦」が由来といわれる。

十符の菅薦は、町周辺で作られ都に献上されたとされる敷物で、編み目が10筋あったことから名が付き、平安時代から和歌にも登場するといいます。由来には諸説あります。作り方は明治時代以降に一度失われ、町は利府町芸術文化協会の協力で復元制作しています。

  • 編み目が10筋
  • 平安時代から和歌に登場
  • 春日に自生する菅草で復元制作

空から見た利府町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2019年4月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

町内にJRの駅が3つ、高速のICが4つある。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

町公式『利府町へのアクセス』は、利府町が宮城県のほぼ中央に位置し、JR駅が3つ、高速道路のインターチェンジが4つあると案内します。町内の駅は利府駅・新利府駅・陸前浜田駅です。総面積は44.89km²で、東は松島町、西は富谷市に接します。

住んでいる人
35,182人
19952020

2015年より −1.8%

25,135 → 35,182人

面積
44.89km²

うち可住地 23.48km²

2024年

世帯数
12,538世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
6.3万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所22

人口1万人あたり 6.8

2023年

面積44.89km²うち可住地23.48km² / 52%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 8園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

7市町村に、接している。

日本のなかの利府町38.330°N 140.976°E
東京大阪利府町
利府町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

南北のながさ

7.3km

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

利府町は、こういう町です。

  1. 01染殿神社は赤沼に鎮座し、江戸時代の古文書には「蓋草神社」として記録が残る。蓋草(刈安)は染料に使われた草で、赤沼の名は沼が赤く染まったことによるとの説もある
  2. 02硯沢窯跡から「宮城郡」「宮木」と刻書された須恵器が見つかり町指定になっている。菅谷横穴墓群は7世紀の初め頃に造られ始め、13世紀頃に修行の場として再利用された
  3. 03町のシンボルネーム「十符の里」は、平安時代から和歌に登場する十符の菅薦が由来といわれ、町は復元制作を行っている。穴薬師は、利府を「夜中のお薬師」と言う三薬師の一つ

気になったら、町に聞いてみませんか。