01 / 持田古墳群
掘り起こされた石棺が墳頂に据えられ、「石舟塚」と呼ばれてきた。

15号墳は墳長46mの前方後円墳。舟形石棺は江戸時代に掘り起こされ、後円部の墳頂に据えられていました。最大の1号墳(計塚)は、以前は「天秤塚」と書いて「はかりづか」と呼ばれたようです。出土品の多くは昭和初期に県外へ流出しました。
- 国史跡(昭和36年指定)
- 15号墳(石舟塚)墳長46m
- 1号墳(計塚)墳長120m
01 / 持田古墳群

15号墳は墳長46mの前方後円墳。舟形石棺は江戸時代に掘り起こされ、後円部の墳頂に据えられていました。最大の1号墳(計塚)は、以前は「天秤塚」と書いて「はかりづか」と呼ばれたようです。出土品の多くは昭和初期に県外へ流出しました。
02 / 黒水家住宅
黒水家は高鍋藩で代々兵法家の家柄で、住宅は10代藩主に仕えた12名の家老の一人、黒水長愷の住居で、家老屋敷と呼ばれます。主屋は寄棟造りの茅葺で、建築年代は不詳ながら文化・文政頃(1804〜1830年)と推定され、玄関の式台は3段です。
03 / 藩校明倫堂
1778年、7代藩主の秋月種茂が藩校「明倫堂」を開設し、身分を問わず門戸を開きました。扁額は種茂の直筆です。その前の1761年には、多子農民への扶助制度が始まっています。明倫堂は1873年に廃止されました。
くらし
町公式は、高鍋町を宮崎県でもっとも小さな自治体と紹介し、日常生活が自転車で事足りる町だと案内します。高鍋藩秋月家3万石の城下町で、地名や町並みに名残があると記します。玄関口はJR日豊本線の高鍋駅です。
2015年より −5.2%
22,886 → 19,922人
うち可住地 36.32km²
2024年
1世帯 2.3人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 11.5
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
9.3km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。