01 / 校舎
洋風の校舎に、唐破風を配した。

下市田学校の校舎は、洋風建築に唐破風を配し、二階に勾欄を付けた造りで、1888年(明治21)の建築です。玄関は学校の顔として、木曽出身の宮大工、坂田亀吉(木曽亀)に頼んで建てたと時の駅は記します。1981年に町の文化財になりました。
- 1888年(明治21)
- 坂田亀吉(木曽亀)が玄関を建てた
- 1981年 町指定
01 / 校舎

下市田学校の校舎は、洋風建築に唐破風を配し、二階に勾欄を付けた造りで、1888年(明治21)の建築です。玄関は学校の顔として、木曽出身の宮大工、坂田亀吉(木曽亀)に頼んで建てたと時の駅は記します。1981年に町の文化財になりました。
02 / 富本銭

町指定史跡の武陵地1号古墳(秋葉塔の塚)は、石室に朱が塗られた横穴式の円墳です。明治30年代の発掘で武具や馬具、須恵器などの副葬品が見つかり、その中に富本銭が1枚ありました。時の駅は、成分が飛鳥池遺跡の富本銭に酷似すると記します。
03 / 市田柿

伊勢信仰が盛んだった下市田村の伊勢社の境内に、「焼いて食べても美味しい」と評判の柿の古木があり、「焼柿」と呼ばれました。伊勢屋敷に住む寺子屋の師匠、児島礼順が柿を育てて食べることを奨励し、接木で村中、村外へ広がったと町は記します。
いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます
広域(約6km四方)
近景(約1.5km四方)
いま(2016年4月撮影)1974〜78年撮影
出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))
くらし
1957年(昭和32)7月1日に市田村と山吹村が合併し、両村を山頂で結ぶ本高森山にちなんで高森町となりました。天竜川西岸の段丘の町で、面積は45.36km²。玄関口は飯田線の市田駅で、町が駅のきっぷ発売業務をJR東海から受託しています。
2015年より −2.1%
12,252 → 12,811人
うち可住地 19.76km²
2024年
1世帯 2.9人
2020年
人口1万人あたり 7.8
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
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