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よみもの

44341 / ひじまち

大分県 速見郡

日出町

城下の湧水で育ち、将軍に献上されたという。

城下かれい

Photo by Utan506 (CC BY-SA 4.0)

01 / 致道館

中学校の建設で解体され、1年後、同じ姿で移築された。

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Photo by Suikotei (CC BY-SA 4.0)

安政5年(1858)、日出藩15代木下俊程の命で日出城二ノ丸に開かれた藩校が致道館です。豊後三賢の一人・帆足万里が教壇に立ちました。1950年に解体されましたが、帆足萬里没後100年にあたる翌1951年、現在地に移築されました。大分県内で唯一現存する藩校の建物です。

  • 1858年 藩校として創立
  • 1950年 解体、翌年移築
  • 大分県内で唯一現存する藩校建物

02 / 的山荘

別府湾を池に見立てた庭に、金山で得た富を注いだ。

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Photo by Asturio Cantabrio (CC BY-SA 4.0)

「金山王」と呼ばれた実業家・成清博愛が、日出城三の丸跡の約3,670坪に1915年(大正4)建てた別荘が的山荘です。書院の前に別府湾が広がり、湾を池に、高崎山を築山に見立てた庭園が造られました。主屋・東西の離れ・土蔵・正門の5棟が国の重要文化財です。

  • 1915年(大正4) 築
  • 国重要文化財 建物5棟
  • 敷地約3,670坪

03 / 松屋寺のソテツ

府内城から移し植えた蘇鉄が、「日本一」と呼ばれるまで育った。

松屋寺の本堂前に立つソテツは、日出藩主木下俊治が1657年(明暦3)、それまで居城とした府内城(大分市)から持ち帰り植えたと伝わります。幹は1本から分かれ、90本に及んだといいます。樹齢は約600年とされ、国の天然記念物です。「日本一の大蘇鉄」と呼ばれています。

  • 1924年 国指定天然記念物
  • 樹齢 約600年
  • 幹は90本に分岐

くらし

速見郡は、日出町だけになった。

  • 人口3万人規模
  • 郡部の町

2005年、山香町が杵築市と合併して速見郡を離れ、速見郡は日出町1町だけになりました。玄関口はJR暘谷駅で、駅前が町の中心地です。南に別府市、北に杵築市と接し、別府湾に面します。

住んでいる人
27,723人
19952020

2015年より −1.2%

24,433 → 27,723人

面積
73.26km²

うち可住地 41.94km²

2024年

世帯数
11,072世帯

1世帯 2.5人

2020年

家賃(借家の平均)
4.2万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院3/診療所16

人口1万人あたり 6.9

2023年

面積73.26km²うち可住地41.94km² / 57%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 7園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの日出町33.369°N 131.532°E
東京大阪日出町
日出町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

9.4km

杵築市・別府市・宇佐市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

日出町は、こういう町です。

  1. 01日出城下の海中湧水で育つマコガレイ「城下かれい」は、江戸時代に将軍へ献上されたという、日出町の名物です。
  2. 02藩校・致道館は大分県内で唯一現存する藩校の建物で、豊後三賢の一人・帆足万里が教えました。的山荘は金山で財を築いた実業家・成清博愛が建てた大正期の邸宅で、国の重要文化財です。
  3. 03作曲家・瀧廉太郎の祖先は日出藩の家老を代々務めた瀧家の出身で、日本で2番目の男子トラピスト会修道院もこの町にあります。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。