野国総管の像(嘉手納町).jpg
よみもの

47325 / かでなちょう

沖縄県 中頭郡

嘉手納町

中国から甘藷を持ち帰ったと伝わる人。

野國總管|芋大主

Photo by Yoshi Canopus (CC BY-SA 4.0)

01 / 屋良ムルチ

大蛇が住むと伝わる池に、屋良では旧暦6月15日に供え物をしてきた。

Muruchi Okinawa Japan.jpg
Photo by Amoriver Information (CC BY-SA 3.0)

比謝川の上流、嘉手納町と沖縄市の境の山中にある池で、昭和9年の観測では広さ715坪と記録されました。大蛇が暴風などの害をなすという伝説があり、親孝行の娘の話は組踊「孝行の巻」の素材になりました。

  • 昭和9年の観測で715坪
  • 旧暦6月15日に屋良の祭事
  • 組踊「孝行の巻」の素材

02 / 千原エイサー

7、8世帯の屋取の集落で、祖先の供養のために始まったと町は記す。

千原は北谷間切の野國村の一角で、1800年頃、首里や那覇、久米村からの移住者が7、8世帯の小部落(屋取)をつくりました。そのころ12、3名の男子が祖先の供養と村人の娯楽のために独特のエイサーを始めたのが起源だといいます。

  • 1800年頃に7、8世帯の屋取
  • 12、3名の男子が始めた
  • 町指定の民俗文化財

03 / 喜屋武朝徳

首里生まれの空手家は、比謝川の近くに居を構えて教えた。

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Photo by Alexkachanov (CC0)

喜屋武朝徳は1870年11月、首里儀保村に生まれました。首里手の松村宗棍、泊手の親泊興寛に師事し、38歳のころから比謝川付近に居を構えて後進を指導。通称は「チャンミーグヮー」で、小柄ながら早技で知られました。

  • 1870年11月 首里儀保村に生まれる
  • 38歳のころ比謝川付近に居を構える
  • 通称「チャンミーグヮー」

くらし

鉄道の駅はなく、玄関口は役場前のバス停。

  • 人口1万人規模
  • 郡部の町

町内に鉄道の駅はありません。町公式は、路線バス20番・28番・29番・120番・228番がバス停「嘉手納町役場前」に停まり、そこから役場まで徒歩1分と案内します。62番は「中央駐車場前」に停まり、徒歩5分です。

住んでいる人
13,521人
19952020

2015年より −1.2%

13,752 → 13,521人

面積
15.12km²

うち可住地 12.49km²

2024年

世帯数
5,220世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所4

人口1万人あたり 3.7

2023年

面積15.12km²うち可住地12.49km² / 83%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 4園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの嘉手納町26.362°N 127.755°E
東京大阪嘉手納町
嘉手納町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

7.5km

沖縄市・読谷村・北谷町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

嘉手納町は、こういう町です。

  1. 01野國總管は、北谷間切の野国村に生まれ、1605年に中国から甘藷を持ち帰ったと伝えられる人で、墓は県指定史跡である。町公式は、いつ生まれ、いつ亡くなったかは分かっていないと記す
  2. 02町には、1800年頃に首里や那覇、久米村からの移住者がつくった千原の屋取に始まると伝わる千原エイサーがあり、町指定の民俗文化財になっている
  3. 03比謝川沿いには、大川按司の居城があったといわれる屋良城跡があり、1867年にできた五連アーチの比謝橋は、1953年に国道の拡張工事で壊された

気になったら、町に聞いてみませんか。