Statue of Taiki and West Kaminoya Shrine on Cape Zampa.JPG
よみもの

47324 / よみたんそん

沖縄県 中頭郡

読谷村

明へ遣わされた宇座の人の像が、岬に立つ。

泰期像

Photo by そらみみ (CC BY-SA 4.0)

01 / 座喜味城跡のアーチ門

二の丸の第1・第2の城門は、どちらもアーチ型をしている。

座喜味城趾アーチ門 - panoramio.jpg
Photo by Toshihiro Matsui (CC BY-SA 3.0)

座喜味城跡は、護佐丸が築いたと伝えられ、1972年に国の史跡となりました。文化庁の解説では、本丸の南側の二の丸に、第1・第2のアーチ型の城門があります。観光協会は、門を中央のくさび石で2つの石をかみあわせた造りと説明します。城郭の外周は365mで、村公式は自由に入れると記します。

  • 第1・第2のアーチ型の城門
  • 城郭の外周365m
  • 1972年 国指定史跡

02 / 喜名番所跡

街道沿いの番所は、役場になり、いまは2005年に再現された姿で建つ。

Michinoeki Kinabanjo 202402.jpg
Photo by Kugel (CC BY-SA 4.0)

喜名番所は、首里城から中頭・国頭に至る街道沿いにあり、1853年にペリー提督の調査隊も訪れました。廃藩置県後は役場となり、1946年に村役場は波平へ移りました。いまの建物は、2005年に当時の雰囲気を再現したものです。村の史跡に指定されています。

  • 1853年 ペリー提督の調査隊が来訪
  • 1946年 村役場が波平へ
  • 2005年 再現

03 / 木綿原遺跡

墓域の小さな発掘で、石で覆われた箱式石棺墓が6基見つかった。

木綿原遺跡は、海岸に沿う砂丘上にあり、1978年に国の史跡となりました。文化庁の解説では、墓域の小範囲の発掘で箱式石棺墓6基と、特別な埋葬施設の無い人骨3体が見つかりました。石棺墓は沖縄ではじめての発見で、九州方面の弥生文化との交渉を具体的に示唆すると記します。

  • 箱式石棺墓6基・人骨3体
  • 1978年 国指定史跡
  • 沖縄ではじめての発見(文化庁の解説)

くらし

鉄道は無く、那覇方面とは路線バスで結ぶ。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

村内に鉄道の駅は無く、玄関口は読谷バスターミナル(沖縄バス読谷出張所)です。観光協会は、那覇空港・那覇方面から28番・228番・29番・20番・120番の路線バスを案内します。村内は、平日に走るコミュニティバス「鳳バス」が回ります。

住んでいる人
41,206人
19952020

2015年より +4.3%

32,912 → 41,206人

面積
35.28km²

うち可住地 25.65km²

2024年

世帯数
15,672世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
5.5万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院0/診療所21

人口1万人あたり 5.1

2023年

面積35.28km²うち可住地25.65km² / 73%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 12園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの読谷村26.396°N 127.744°E
東京大阪読谷村
読谷村の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

8.9km

嘉手納町・恩納村・沖縄市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

読谷村は、こういう町です。

  1. 01泰期像は、残波岬公園にある高さ約180cmの像で、2008年11月に完成し、観光協会は中国福建省の方向を指すと記す。村は、1372年の明への朝貢貿易船に宇座の泰期を遣わしたと沿革に記す
  2. 02読谷山花織は、1960年代に復元が進められ、与那嶺貞が1999年に国の重要無形文化財(工芸技術)の保持者に指定された
  3. 03残波岬は、高さ30m前後の断崖が約2kmにわたって連なり、観光協会は県内でも有数の景勝地と記す

気になったら、町に聞いてみませんか。