Tsutsumi Earthwork in Kamimine.jpg
よみもの

41345 / かみみねちょう

佐賀県 三養基郡

上峰町

灌漑か、防衛か、道か。説が割れる土塁。

堤土塁跡|丘陵をふさぐ土塁

Photo by Peka (CC BY-SA 4.0)

01 / 鎮西山城跡

「いつ、誰が築城した城なのか」は、当時の記録が無く分かっていないと町は記す。

Mount Chinzei from Torigoe.jpg
Photo by Peka (CC BY-SA 4.0)

鎮西山(標高202m)の山頂一帯に、横堀や土塁の残る中世の山城跡があります。発掘では12世紀中頃〜13世紀前半の中国産陶磁器などが主に出土し、南宋の玳玻天目茶碗も含まれます。町教委は、山城より前に山岳寺院・修験道に関わる施設があった可能性を挙げます。

  • 山頂は標高202m
  • 青白磁の合子が5個体分
  • 12世紀中頃〜13世紀前半の遺物が主体

02 / 二塚山五本谷遺跡

工業団地の造成に伴う発掘で見つかった墓域のほぼ中央は、緑地として保存された。

Renkomon "Seihaku" Meikyo bronze mirror Futazukayama Saga.JPG
Photo by Pekachu (CC BY-SA 4.0)

二塚山五本谷遺跡は、昭和48〜53年の工業団地造成に伴う発掘で、弥生時代から奈良時代の墓地が確認された県史跡です。甕棺墓40基・土壙墓76基などがあり、清白鏡など銅鏡3面が副葬されていました。吉野ヶ里町にまたがる二塚山遺跡の出土品は、国の重要文化財です。

  • 甕棺墓40基・土壙墓76基
  • 副葬品に清白鏡など銅鏡3面
  • 二塚山遺跡の出土品は国の重要文化財

03 / 八藤丘陵の埋没林

水田の地下約3mに、火砕流でなぎ倒された森が埋まっていた。

平成5年2月、水田の基盤づくりで約3m掘り下げると、長さ22m・直径1.5mの巨木が見つかりました。根を東、頂部を西にして倒れており、町は約9万年前の阿蘇4火砕流に倒された森の跡と説明します。巨木の樹齢は700〜800年と推定されています。

  • 阿蘇4火砕流は約9万年前
  • 巨木は長さ22m・直径1.5m、樹齢700〜800年と推定
  • 資料の一部を上峰町ふるさと学館に展示

くらし

南北12.5km、東西は最も狭い所で1km。

  • 人口9千人規模
  • 郡部の町

町は佐賀県東部のほぼ中央にあり、北部が丘陵・台地、南部が沖積平野の、南北に長い帯状の町です。町公式はその姿を「剣が天に向かっている」と紹介します。面積は12.80km²、人口は9,286人(令和2年国勢調査)。町内に鉄道の駅は無く、町公式は最寄りのJRを、吉野ヶ里公園駅と中原駅から車で約10分と案内します。1889年に4村が合併して上峰村となり、1989年に町制を施行しました。

住んでいる人
9,286人
19952020

2015年より 0%

8,210 → 9,286人

面積
12.8km²

うち可住地 10.97km²

2024年

世帯数
3,598世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所7

人口1万人あたり 8.6

2023年

面積12.8km²うち可住地10.97km² / 86%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの上峰町33.320°N 130.426°E
東京大阪上峰町
  • 佐賀まで路線バス44分

所要時間は西日本鉄道『にしてつ時刻表』(https://jik.nishitetsu.jp/)の経路検索。2026-10-05(月)の平日ダイヤ(10月1日以降の日付)で、40番(西鉄久留米行き。佐賀駅バスセンター→神埼→目達原→長門石→JR久留米)が 9:14発→下津毛(佐賀県上峰町)9:58着=44分(10:04→10:48、11:04→11:48、12:04→12:48 も44分)。乗り換えなしで町内の停留所に着く(2026-09-30 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・3市町村に、接している。

上峰町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

11.6km

佐賀県
みやき町・吉野ヶ里町
福岡県
那珂川市

上峰町は、こういう町です。

  1. 01堤土塁跡(つつみどるいあと)は、鎮西山から南に延びる八藤丘陵と二塚山丘陵をふさぐように築かれた土塁で、全体で300m、佐賀県史跡です。種類の違う土を交互に積んで叩き締める版築技法が用いられ、築造は7〜8世紀頃と推定されています。築成の目的は、灌漑施設説・防衛施設説・道路跡説・併用説などがあります。
  2. 02船石遺跡(県史跡)の船石宮天神社の境内には、船石・亀石・鼻血石と呼ばれる巨石が残ります。船石は、地名の由来です。町内には、全長50mの前方後円墳の都紀女加王墓もあり、町の古墳公園になっています。
  3. 03米多浮立(めたぶりゅう)は、県の重要無形民俗文化財で、2年に1度、前牟田地区の老松神社の秋祭りに奉納されます。町公式は、2026年の奉納を10月24日・25日と案内しています。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。