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よみもの

40231 / なかがわし

福岡県

那珂川市

書紀の溝は、100mで20cm程度下がる。

裂田溝|一の井手

Photo by Muyo (CC BY-SA 3.0)

01 / ウソん谷

「知らぬ、存ぜぬ」と嘘を貫いたという里の字名は「ウソ」、通称「ウソん谷」。

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Photo by C2revenge (CC BY-SA 4.0)

安徳地区の長老たちが住む集落の字名は「ウソ」、通称「ウソん谷」です。市広報は、安徳天皇の行方を問う源氏方に里人が「知らぬ、存ぜぬ」と嘘を通したことに由来するという言い伝えを載せます。天皇を祀る祠の安徳宮では、命日(4月24日)前の日曜日に天皇さまごもりが行われてきました。

  • 字名は「ウソ」(通称「ウソん谷」)
  • 命日(4月24日)前の日曜日に天皇さまごもり
  • 安徳天皇を祀る祠「安徳宮」

02 / 安徳台遺跡の2号棺

沖縄や南西諸島の貝で作った腕輪が、一人の甕棺に43個入っていた。

安徳台遺跡群の2号棺は、弥生時代の甕棺墓です。ゴホウラ貝製の貝輪が43個副葬されていました。ゴホウラ貝は沖縄や南西諸島の深海でしか取れない巻貝で、一つの貝から腕輪は一つしか作れません。市は、この人物は大きな権力を持っていたと考えられるとしています。

  • 貝輪43個
  • 一つの貝から腕輪は一つ
  • 弥生時代の甕棺墓

03 / 少弐景資

蒙古襲来の時代を駆けた少弐景資を、市は「郷土の英雄」と呼ぶ。

岩戸城説明板+名簿+少弐景資公之像.jpg
Photo by C2revenge (CC BY-SA 4.0)

少弐景資の本拠は筑前国那珂東郷の岩門で、蒙古襲来では前線の司令官として活躍したと辞典にあります。1285年、兄の経資と争った岩門合戦に敗れて自害しました。山田には、標高195mの岩門城跡と、(伝)少弐景資の墓があります。

  • 1285年、岩門合戦
  • 岩門城跡は標高195m
  • 山田に(伝)少弐景資の墓

くらし

南北14.5km、東西6.2kmのだ円形。

  • 人口5万人規模

市は福岡県の西部にあり、地形はおおむねだ円形で、南北14.5km、東西6.2km、面積は74.95km²です。南部は三方を背振連山に囲まれ、那珂川が市の中央を南北に流れて博多湾に注ぎます。1956年に安徳・岩戸・南畑の三村が合併して那珂川町となり、2018年に市になりました。

住んでいる人
50,112人

2020年

面積
74.95km²

うち可住地 20.81km²

2024年

世帯数
19,078世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
5.3万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院2/診療所37

人口1万人あたり 7.8

2023年

面積74.95km²うち可住地20.81km² / 28%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

1県・8市町村に、接している。

日本のなかの那珂川市33.500°N 130.422°E
東京大阪那珂川市
那珂川市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

15.0km

福岡県
福岡市・筑紫野市・大野城市・春日市
佐賀県
吉野ヶ里町・鳥栖市・みやき町・上峰町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

那珂川市は、こういう町です。

  1. 01裂田溝(さくたのうなで)は、那珂川の「一の井手」から水を引き、安徳・五郎丸・松木を通って今光に至る総延長約5.5kmの人工用水路で、古くは『日本書紀』に記載があります。水路の傾きは、100mで20cm程度下がる緩やかな勾配です。
  2. 02『日本書紀』には、溝の工事が迹驚岡(いまの安徳台)の大岩に阻まれ、雷が落ちて岩が裂け、水が通ったという記述があります。市の冊子は、裂田神社の裏で見つかった花崗岩の岩盤を、この記述を裏付ける発見として紹介しています。
  3. 03市内には、国史跡の安徳大塚古墳、伏見神社に奉納される県指定無形民俗文化財の岩戸神楽、市指定史跡の丸ノ口古墳群、「正徳四年」銘の現人神社の鳥居があります。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。