Matengai Cliff at Kuniga coast, Nishinoshima.jpg
よみもの

32526 / にしのしまちょう

島根県 隠岐郡

西ノ島町

垂直に切り取ったような、257mの崖。

摩天崖|国賀海岸

Photo by Yuvalr (CC BY-SA 4.0)

01 / 焼火神社

大坂の大工が木造りし、現地では米子の大工が組んだ。

Takuhi jinja Honden.JPG
Photo by ChiefHira (CC BY-SA 3.0)

本殿・通殿・拝殿は、山腹の岩窟を利用して建つ。本殿は享保17年(1732年)の建築で、大坂の大工が大坂で材木を組んで運び、現地では米子の大工が組み立てるという珍しい方法がとられた。平成4年(1992年)、国の重要文化財に指定された。

  • 1732年(享保17年)建築
  • 1992年 国重要文化財
  • 大坂で組み、米子の大工が現地で組立て

02 / 由良比女神社のイカ

かつては毎年、浜にイカが押し寄せた。2006年、十数年ぶりに群れが来た。

Yurahime jinja Honden.jpg
Photo by ChiefHira (CC BY-SA 3.0)

由良比女神社は隠岐国一の宮とされる古社で、延喜式神名帳にも名が見える。明治・大正から昭和20年代にかけては、社前の浜に毎年のようにイカの大群が押し寄せたという。近年はほとんど見られなくなり、2006年には十数年ぶりに群れが浜に寄ったと記録された。

  • 隠岐国一の宮とされる古社
  • 明治〜昭和20年代 毎年のように接岸
  • 2006年 十数年ぶりに飛来

03 / 黒木御所跡

元弘2年、後醍醐天皇が配流に。この地に、1年ほど過ごしたと伝わる。

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Photo by Asturio Cantabrio (CC BY-SA 4.0)

元弘2年(1332年)、鎌倉幕府打倒の企てに失敗した後醍醐天皇は隠岐へ配流となり、別府の高台に約1年間住まわれたと伝わる。跡地は昭和33年、県の史跡「伝後醍醐天皇行在所」に指定された。隣の碧風館には天皇にまつわる資料や肖像画が展示される。

  • 1332年(元弘2年) 配流
  • 約1年 別府に滞在と伝わる
  • 1958年(昭和33年) 県史跡指定

くらし

年間の平均気温は、16.3度。

  • 人口3千人規模
  • 郡部の町

西ノ島町は隠岐諸島・島前の西ノ島にある。島の中央では大正4年、船引運河が開削され内海と外海を結んだ。面積55.96平方キロメートル、年間降水量は約1,662ミリと比較的温暖な気候の中、漁業・観光・畜産を産業の柱に、盆には地区ごとにシャーラ船を送る暮らしが続く。

住んでいる人
2,788人
19952020

2015年より −7.9%

4,048 → 2,788人

面積
55.97km²

うち可住地 5.84km²

2024年

世帯数
1,415世帯

1世帯 2.0人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所4

人口1万人あたり 17.9

2023年

面積55.97km²うち可住地5.84km² / 10%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの西ノ島町36.093°N 132.994°E
東京大阪西ノ島町
別府港
別府港2016年
  • 松江まで隠岐汽船119分
  • 境港まで隠岐汽船180分

所要時間は隠岐汽船公式サイトの時刻表(www.oki-kisen.co.jp/timetable/、day=2026-09-26〈土〉と day=2026-09-28〈月〉の2日分を取得し同一の時刻であることを確認)。フェリー・高速船とも『七類(松江市)』『境港(境港市)』の欄が本土側の起点として明記され、町内の唯一の港『別府(西ノ島町)』の到着・出発が別欄で示される(2026-09-26 確認)。時間帯により異なります。

かたち

0市町村に、接している。

西ノ島町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

12.9km

西ノ島町は、こういう町です。

  1. 01西ノ島の西海岸に続く国賀海岸は、牧草地の上に摩天崖が垂直にそそり立つ景勝地。
  2. 02焼火山の岩窟に建つ焼火神社は、大坂の大工が木造りし現地の大工が組んだ社殿を持つ。
  3. 03浦郷の由良比女神社にはイカが浜に寄る言い伝えが残り、別府の黒木御所跡は後醍醐天皇配流の伝承地とされる。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

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