江戸川区・善養寺影向のマツ
よみもの

13123 / えどがわく

東京都

江戸川区

高さ約8mの松が、約30m四方に枝を張る。

善養寺影向のマツ

Photo by 三人日 (CC BY-SA 3.0)

01 / 名主屋敷

周囲に堀をめぐらせ、屋敷林を備える。区が「中世土豪風」と呼ぶ名主の屋敷構え。

江戸川区の名主屋敷
Photo by 皓月旗 (CC BY 4.0)

田島家は江戸時代のはじめに一之江新田を開き、代々名主をつとめました。現在の主屋は安永年間(1772〜80年)の再建で、玄関と座敷、土間をそなえた茅葺の曲り家です。昭和29年(1954)に都の史跡に指定されました。

  • 主屋は安永年間の再建
  • 茅葺の曲り家
  • 都指定史跡(1954年)

02 / 新川

行徳の塩を江戸へ運ぶ流路に、寛永6年、三角から江戸川まで、一直線の川が開かれた。

江戸川区の新川
Photo by しんぎんぐきゃっと (CC BY-SA 4.0)

寛永6年(1629)、幕府は船堀川の三角以西を掘り広げ、三角から江戸川までを新たに一直線に開きました。区は、行徳の塩を江戸に運ぶために重要な流路だったとします。両岸には千本桜が整備されています(写真は桜の季節)。

  • 寛永6年(1629)の開削
  • 全長約3km
  • 区指定史跡

03 / 筆子塚

筆子塚は、寺子屋の師匠の死後に、教え子が費用を出し合って建てた墓や供養塔。

筆子塚は、寺子屋で教わった教え子が、師匠の死後に費用を出し合って建てた墓や供養塔です。区は力誉上人・墨香堂・田口初右衛門などの筆子塚を登録しています。墨香堂は天保13年(1842)に東小松川村で開かれた寺子屋です。

  • 教え子が費用を出し合って建てた
  • 区登録有形文化財・歴史資料
  • 墨香堂の開業は天保13年(1842)

空から見た江戸川区

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2019年6月〜11月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

東京から京葉線で、葛西臨海公園まで13分。

  • 人口70万人規模
  • 都心まで30分

JR京葉線の東京駅から区内の葛西臨海公園駅まで、毎日運転の最速は13分です(2026年10月のダイヤ。日中は13〜14分)。区公式が区役所への行き方でいちばんに挙げるのはJR総武線の小岩駅で、都営バス(錦27)か京成バス東京(小74)で江戸川区役所へ向かいます。

住んでいる人
697,932人
19952020

2015年より +2.4%

589,414 → 697,932人

面積
49.9km²

うち可住地 49.9km²

2024年

世帯数
333,200世帯

1世帯 2.1人

2020年

家賃(借家の平均)
7.7万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院22/診療所463

人口1万人あたり 6.9

2023年

ほとんど、平地。ほぼ全域が可住地(100.0%)
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 92園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの江戸川区35.707°N 139.868°E
大阪江戸川区
小岩駅
小岩駅2015年
  • 東京までJR京葉線13分

所要時間はJR東日本 駅の時刻表(2026年10月ダイヤ・timetables.jreast.co.jp の2610版)。葛西臨海公園駅(京葉線 下り)と小岩駅(中央・総武線各駅停車 下り)の平日・土曜休日の全列車ページ(葛西臨海公園337ページ・小岩437ページ)を読み、東京・秋葉原の発→町内の駅の着を列車ごとに数えた(2026-10-23 確認)。時間帯により異なります。

かたち

1県・6市町村に、接している。

江戸川区の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成

南北のながさ

13.1km

江戸川区は、こういう町です。

  1. 01善養寺(東小岩)のクロマツ「影向のマツ」は、樹高約8mで地上2mから枝が四方に伸び、樹冠は東西約28m・南北約31mに及ぶ(文化庁)。国の天然記念物
  2. 02一之江名主屋敷は、堀と屋敷林をめぐらせた田島家の屋敷。茅葺の主屋は安永年間の再建で、都指定の史跡
  3. 03新川は寛永6年(1629)に幕府が拡幅し、三角から江戸川までを新たに開いた堀割で、行徳の塩を江戸へ運ぶ重要な流路だった。区内には、寺子屋の師匠の墓を教え子が建てた筆子塚も登録されている

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。