大多喜町・大多喜町役場中庁舎
よみもの

12441 / おおたきまち

千葉県 夷隅郡

大多喜町

役場の石積みは、職員が海岸で採った石。

大多喜町役場中庁舎

Photo by Higa4 (CC0)

01 / 川まわし

耕地を開拓するため、蕪来川を川まわしして造った隧道の跡。

大多喜町の川まわし
Photo by くろふね (CC BY 3.0)

弘文洞跡は、養老川の支流の蕪来川を川まわしして造った隧道です。町公式は、およそ140年前に耕地開拓のため造り、昭和54年(1979)5月24日未明に頭頂部が崩壊したと記します。名は、弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ、本流との合流点にあることから付きました。

  • 蕪来川を川まわし
  • およそ140年前に造られた(町公式)
  • 昭和54年5月24日未明に頭頂部が崩壊

02 / 商家

大多喜藩の軍用金御用達をつとめた家柄の住宅は、前面に庇の付く店構え。

大多喜町の商家
Photo by Higa4 (CC0)

渡辺家住宅は、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されました。文化遺産オンラインは、嘉永2年(1849)に建設されたと伝えていると記し、前面に庇の付く店構えや整った座敷を持つ、近世商家の遺例として数少ない町家とします。所有者は個人です。

  • 重要文化財(昭和44年6月20日指定)
  • 嘉永2年(1849)に建設されたと伝える
  • 所有者は個人

03 / 城下の商家

旧大多喜城大手門の部材を用いて建てたとされる、城下の主屋。

大多喜町の城下の商家
Photo by Higa4 (CC0)

伊勢幸酒店店舗兼主屋は、県教委によると、大多喜城下の商人町にある酒店の建物で、旧大多喜城大手門の部材を用いて建てたとされています。明治6年(1873)の建築で、木造2階建。1階は間口を大きく開き、2階正面は全面に格子戸を建て込みます。国の登録有形文化財です。

  • 明治6年(1873)の建築
  • 旧大手門の部材を用いたとされる
  • 国登録有形文化財(平成21年4月28日登録)

空から見た大多喜町

いまと1974〜78年。写真を押すと、寄って見られます

広域(約6km四方)

近景(約1.5km四方)

いま(2024年7月〜8月撮影)1974〜78年撮影

出典:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス)/国土画像情報(第一期:1974〜1978年撮影))

地理院地図で開く(いま)地理院地図で開く(1974〜78年)

くらし

東京駅から、高速バスで92分。

  • 人口9千人規模
  • 都心まで2時間
  • 郡部の町

町内にはいすみ鉄道と小湊鐵道の駅がありますが、東京の都心へは乗り換えなしでは着きません。バスターミナル東京八重洲から停留所「大多喜」へは、高速バスの下りが毎日運転の6本とも92分です(2024年3月1日改正の時刻表)。町公式は約80分と案内します。

住んでいる人
8,885人
19952020

2015年より −9.7%

12,678 → 8,885人

面積
129.87km²

うち可住地 40.61km²

2024年

世帯数
3,401世帯

1世帯 2.6人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院2/診療所6

人口1万人あたり 9.0

2023年

面積129.87km²うち可住地40.61km² / 31%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 2園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの大多喜町35.285°N 140.245°E
大阪大多喜町
大多喜駅
大多喜駅2025年
  • 東京まで高速バス92分

所要時間は小湊鐵道の高速バス『勝浦〜(市原鶴舞BT経由)〜東京線』の時刻表(『2024年3月1日改定』の表示。平日・土休日の両方)と、京成バスの『東京駅 〜 木更津金田バスターミナル・大多喜・勝浦・御宿・安房小湊』(時刻:2024年03月01日改正)の下り(バスターミナル東京八重洲 地下B 11番のりば発→停留所『大多喜』着)。町公式『高速バス』(企画課・2026-08-18 更新)がこの路線の時刻表へリンクし、『東京駅(バスターミナル東京八重洲)からアクアライン経由で約80分』と書く。日東交通の『高速バス』ページ(『VH.新高速バスページ(2026.10.01~)』)にも『勝浦〜東京線 ※2024.3.1改正』があり、運行中であることを確かめた(2026-10-22 確認)。時間帯により異なります。

かたち

7市町村に、接している。

大多喜町の領域
境界:「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)を加工して作成湖沼:国土数値情報(湖沼データ)(国土交通省)を加工して、まちがたりが作成。 この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(空間データ基盤)、数値地図25000(地名・公共施設)を使用した。(承認番号 平27情使、第585号)

大多喜町は、こういう町です。

  1. 01大多喜町役場の中庁舎は、今井兼次の設計で昭和34年(1959)に建った国の登録有形文化財で、玄関庇の天井の曲線は夷隅川を模し、積まれた蛇紋岩は職員が鴨川の太海海岸で採ったもの
  2. 02弘文洞跡は、耕地を開拓するため蕪来川を川まわしして造った隧道で、渡辺家住宅は、大多喜藩の軍用金御用達をつとめた家柄の重要文化財
  3. 03伊勢幸酒店店舗兼主屋は、旧大多喜城大手門の部材を用いて建てたとされる、大多喜城下の商人町の主屋

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。