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よみもの

40604 / いとだまち

福岡県 田川郡

糸田町

町の名の起こりとされる、石の鳥居の池。

泌泉|町名の由来とされる泉

Photo by Muyo (CC BY-SA 4.0)

01 / 木村緑平と山頭火

漂泊の俳人を、糸田の医師が物心両面で支えた。

木村緑平(1888〜1968)は柳川出身の医師で、糸田村の炭鉱の病院に勤めた俳人。町公式によれば、山頭火は糸田に14回足を運び、日記を全冊、緑平に託した。町は皆添橋に俳句のレリーフと説明板を設けている。

  • 山頭火が糸田を訪れた回数 14回(町公式)
  • 木村緑平 1888〜1968年
  • 皆添橋に俳句のレリーフと説明板

02 / 銅戈

重なって埋められた銅の戈は、祭祀の品と考えられている。

昭和25年8月、自宅横の藪を耕していた人が鍬を打ち当てて見つけた。銅戈は重なった状態で比較的深く埋納され、ほかの品は伴わなかったと聞き取りが伝える。町の説明は青銅の武器形の祭祀の品とする。町指定文化財第2号。

  • 昭和25年8月に出土
  • 町指定文化財第2号(平成6年12月28日)
  • 町教育委員会が所蔵

03 / 糸田祇園山笠

舁山笠と曳山笠を、同じ日に見ることができる。

宝永5年(1708)に祇園社を勧請したのが始まり。旧村ごとに別々だった祭礼を同じ日程にそろえ、いまは5月の第2土曜と翌日の日曜に行う。須佐神社の神輿は、辻屋敷付近の御旅所に一晩泊まる。

  • 宝永5年(1708)に祇園社を勧請
  • 町指定無形民俗文化財第8号
  • 5月の第2土曜と翌日の日曜(2026年は9・10日の予定)

くらし

二つの川が、町を三つに分ける。

  • 人口8千人規模
  • 郡部の町

遠賀川水系の中元寺川と泌川(たぎりがわ)が町を貫いて北へ流れ、町域を三分します。西部は関の山山地の東で、稲作やイチゴの栽培が盛んです。町内の糸田線は、沿線の協議会が2026年3月25日に鉄道からバスへの転換を決議し、事業者は当面これまでどおり運行するとしています。

住んでいる人
8,407人
19952020

2015年より −6.8%

10,915 → 8,407人

面積
8.04km²

うち可住地 5.79km²

2024年

世帯数
3,656世帯

1世帯 2.3人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院1/診療所9

人口1万人あたり 11.9

2023年

面積8.04km²うち可住地5.79km² / 72%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 3園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

3市町村に、接している。

日本のなかの糸田町33.653°N 130.779°E
東京大阪糸田町
糸田町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

4.0km

田川市・福智町・飯塚市

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

糸田町は、こういう町です。

  1. 01泌泉(たぎり)は、糸田町原の水田地帯にある、石の鳥居と石垣をめぐらせた小さな池です。町名の起こりとされる伝説の泉で、町指定の史跡です。水の様子は、町の説明が鉱害で止まっているとし、県の観光サイトは湧き出すと書いています。
  2. 02木村緑平は、町公式が山頭火の経済的・精神的な援助者とする医師です。銅戈は昭和25年に藪の中から重なって出た青銅の祭祀の品で、町教育委員会が所蔵します。
  3. 03糸田祇園山笠は、舁山笠と曳山笠を同じ日に見ることができる町指定の祭りです。町は遠賀川水系の中元寺川と泌川が貫く、面積約8km²、人口1万人弱の町です。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

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