01 / 木村緑平と山頭火
漂泊の俳人を、糸田の医師が物心両面で支えた。
木村緑平(1888〜1968)は柳川出身の医師で、糸田村の炭鉱の病院に勤めた俳人。町公式によれば、山頭火は糸田に14回足を運び、日記を全冊、緑平に託した。町は皆添橋に俳句のレリーフと説明板を設けている。
- 山頭火が糸田を訪れた回数 14回(町公式)
- 木村緑平 1888〜1968年
- 皆添橋に俳句のレリーフと説明板
01 / 木村緑平と山頭火
木村緑平(1888〜1968)は柳川出身の医師で、糸田村の炭鉱の病院に勤めた俳人。町公式によれば、山頭火は糸田に14回足を運び、日記を全冊、緑平に託した。町は皆添橋に俳句のレリーフと説明板を設けている。
02 / 銅戈
昭和25年8月、自宅横の藪を耕していた人が鍬を打ち当てて見つけた。銅戈は重なった状態で比較的深く埋納され、ほかの品は伴わなかったと聞き取りが伝える。町の説明は青銅の武器形の祭祀の品とする。町指定文化財第2号。
03 / 糸田祇園山笠
宝永5年(1708)に祇園社を勧請したのが始まり。旧村ごとに別々だった祭礼を同じ日程にそろえ、いまは5月の第2土曜と翌日の日曜に行う。須佐神社の神輿は、辻屋敷付近の御旅所に一晩泊まる。
くらし
遠賀川水系の中元寺川と泌川(たぎりがわ)が町を貫いて北へ流れ、町域を三分します。西部は関の山山地の東で、稲作やイチゴの栽培が盛んです。町内の糸田線は、沿線の協議会が2026年3月25日に鉄道からバスへの転換を決議し、事業者は当面これまでどおり運行するとしています。
2015年より −6.8%
10,915 → 8,407人
うち可住地 5.79km²
2024年
1世帯 2.3人
2020年
人口1万人あたり 11.9
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
4.0km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。