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よみもの

21404 / いけだちょう

岐阜県 揖斐郡

池田町

池田山の麓に、円墳が点在する。

願成寺西墳之越古墳群

Photo by Alpsdake (CC BY-SA 4.0)

01 / 霞間ヶ渓

草木の伐採を禁じた山で、桜が繁殖した。

鎌ヶ谷は、近隣の六つの村が燃料の芝や薪、飼料・肥料用の草、用水の源に使った谷です。草木を刈りすぎると地盤がゆるむため伐採を禁じる「鎌留め」を行い、谷の名もこれに由来するとされます。保護された山に桜が繁殖し、「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったといいます。

  • 六つの村が利用した谷
  • 伐採を禁じる「鎌留め」
  • 昭和3年 国の名勝・天然記念物

02 / 乳くれ地蔵

乳を乞うた巡礼に、庄屋の妻が六地蔵を建てたと伝わる。

文政6年(1823)、伊予国氷見村から地蔵建立の願いを携えた巡礼の宥峯は、病に倒れ、道行く人に乳を乞いました。ただ一人応えようとした庄屋の妻みねが、八幡に六地蔵と道標を建てたと伝わります。台座の銘には「願主伊予国氷見邑宥峯」とあります。

  • 文政6年(1823)5月
  • 庄屋の妻みね
  • 池田町史跡

03 / 市橋港跡

石灰を積んだ杭瀬川の港は、鉄道と閘門のあとに消えた。

明治25年頃、杭瀬川の水量に着目した大場倉蔵が開いた港で、最盛期には260余隻の共船組合がありました。石灰を中心に名古屋・桑名などへ運びましたが、石灰は鉄道へ移り、昭和13年の杭瀬川閘門の建設で航行が難しくなり、同年に姿を消しました。

  • 明治25年頃 開設
  • 最盛期 260余隻の共船組合
  • 昭和13年 港が姿を消す

くらし

濃尾平野の最北端で、池田山を背負う。

  • 人口2万人規模
  • 郡部の町

町は濃尾平野の最北端にあり、西に924mの池田山を背負い、山地は町の面積の3分の1に及びます。面積は38.80km²、大垣へ12km、岐阜市へ20kmの位置です。養老鉄道が町内を通り、北池野駅の南側には、役場や中央公民館の利用者も使える無料駐車場が41台分あります。

住んでいる人
23,360人
19952020

2015年より −4.1%

23,153 → 23,360人

面積
38.8km²

うち可住地 23.21km²

2024年

世帯数
8,395世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
3.6万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院1/診療所9

人口1万人あたり 4.3

2023年

面積38.8km²うち可住地23.21km² / 60%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 8園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

5市町村に、接している。

日本のなかの池田町35.442°N 136.573°E
東京池田町
池田町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

7.6km

揖斐川町・神戸町・垂井町・大垣市・大野町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

池田町は、こういう町です。

  1. 01願成寺西墳之越古墳群は、池田山の東麓の大津谷と中谷にはさまれた扇状地に広がる群集墳で、6世紀から7世紀にかけて営まれたと考えられ、1969年(昭和44年)に岐阜県の史跡に指定された。町は約9ヘクタールに111基が見つかっているとし、県は108基と記す
  2. 02国の名勝・天然記念物の霞間ヶ渓は、近隣の六つの村が草や薪を取った鎌ヶ谷で、伐採を禁じる鎌留めのあとに桜が繁殖したという。谷汲巡礼街道沿いの乳くれ地蔵は、巡礼の乞いに庄屋の妻が応えて六地蔵を建てたと伝わる町史跡
  3. 03明治25年頃に開かれた市橋港は、杭瀬川の舟運で石灰などを運び、昭和13年に姿を消した。町は西に標高924mの池田山を背負い、東の斜面には茶畑が広がる

気になったら、町に聞いてみませんか。