Miyazono Gingko Tree Itsuki Village 20211115.jpg
よみもの

43511 / いつきむら

熊本県 球磨郡

五木村

樹高35m、根回り約14mの木が立つ。

宮園の大イチョウ

Photo by Sanjo (CC BY-SA 4.0)

01 / 焼畑

佐々木高明は、五木村での調査を出発点に、焼畑研究を世界的に展開した。

民族学者の佐々木高明は、1958〜60年に五木村で調査し、のち国立民族学博物館の二代目館長になりました。村では江戸時代から、焼畑でアワやヒエを作る暮らしが現代まで続きました。のち途絶えましたが、2022年に復活しています。

  • 1958〜60年 五木村で調査
  • アワ・ヒエを焼畑で栽培
  • 2022年 焼畑が復活

02 / 熊ヶ嶽猪之介

五木村の平野に生まれた江戸相撲の力士は、17場所連続で幕内力士として活躍した。

熊ヶ嶽猪之介(本名・黒木松次郎)は、1807年に平野地区で生まれた江戸相撲の力士です。相良藩のお抱え力士となり、17場所連続で幕内力士として活躍したと村は紹介します。嘉永6年(1853)2月場所に引退し、帰郷後は後継者の育成に尽くしました。

  • 1807年 平野地区に誕生
  • 17場所連続で幕内
  • 嘉永6年(1853)2月場所に引退

03 / 五木谷絵図下地

1815年の絵図下地と庄屋元文書が、江戸の五木を知る資料になっている。

文化12年(1815)の五木谷絵図下地は作者不明で、村指定文化財です。地形や集落、神社仏閣のほか、相良藩の御立山と御竹林、鮎を獲る筌場の名が記されます。庄屋元文書の報告書には、江戸時代の焼畑の分布や3000本の奉納射的の記録が載ります。

  • 文化12年(1815)
  • 村指定文化財
  • 3000本の奉納射的の記録

くらし

人吉からバスで58分、九州中央山地の村。

  • 人口1千人規模
  • 郡部の町

鉄道の駅は無く、産交バス五木線が人吉産交と五木役場前を58分で結びます(村公式の時刻表・2026年9月30日更新)。人吉発は1日7便で、平日のみの便もあります。

住んでいる人
931人
19952020

2015年より −11.8%

1,687 → 931人

面積
252.92km²

うち可住地 14.59km²

2024年

世帯数
420世帯

1世帯 2.2人

2020年

家賃(借家の平均)
—
医療
病院0/診療所1

人口1万人あたり 10.7

2023年

面積252.92km²うち可住地14.59km² / 6%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 1園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

ACCESS

ここから、どこへ。

日本のなかの五木村32.397°N 130.828°E
東京大阪五木村
五木役場前
五木役場前2009年
  • 人吉まで路線バス58分

所要時間は五木村公式『産交バス時刻表』(2026-09-30 更新・九州産交バス五木線)。人吉市→五木村:人吉産交(産交ターミナル)発 6:00・7:00・10:00・11:30・13:20・14:30・17:20 の7便が、五木役場前 6:58・7:58・10:58・12:28・14:18・15:28・18:18 着で、いずれも58分(終点の駐在所前は59分)。五木村→人吉市:五木役場前 7:11・8:11・11:11・12:41・14:31・16:46・18:31 発が、人吉産交 8:09・9:09・12:09・13:39・15:29・17:44・19:29 着で、いずれも58分(駐在所前発は59分)。『平日のみ』の見出しが付くのは、五木村発の 7:10(駐在所前)・14:30(同)の便と、人吉発の 6:00・13:20 の便(それぞれ表の1列目と5列目。ほかの便の運行日は時刻表に書かれていない)。人吉駅前までは五木役場前発が55分、人吉駅前発→五木役場前が56分(2026-10-03 確認)。時間帯により異なります。

かたち

5市町村に、接している。

五木村の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

17.4km

八代市・相良村・水上村・山江村・多良木町

五木村は、こういう町です。

  1. 01宮園の大イチョウは、釈迦堂の境内に立つ熊本県指定の天然記念物で、樹高35m、根回り約14m、樹齢500年以上とされます。紅葉の時期には眩しい黄金色に染まると村は紹介します。
  2. 02民族学者・佐々木高明が1958〜60年に調査した焼畑は、世界的な焼畑研究の出発点になりました。江戸相撲の力士・熊ヶ嶽猪之介は、この村の平野地区の生まれです。
  3. 03江戸時代の村の姿は、五木谷絵図下地と庄屋元文書が伝えます。村公式サイトは、五木を「五木の子守唄」の発祥の地と紹介しています。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。