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よみもの

43216 / こうしし

熊本県

合志市

城だけでなく、城下までを外堀で囲んだ。

竹迫城惣構え跡

Photo by by YAPON (Public domain)

01 / 合志義塾跡のカタルパ

新島襄の苗が、徳富蘇峰を経て合志の私塾に渡ったと伝わる。

合志義塾は1892年、西合志村黒松に開かれた私塾で、1949年の閉塾までに約7000人が学びました。跡の碑の横に立つカタルパは、新島襄が米国から持ち帰った苗が徳富蘇峰を経て、塾を開いた平田一十に渡ったと伝わります。

  • 1892年 開塾・1949年 閉塾
  • 約7000人が学ぶ
  • 新島襄→徳富蘇峰→平田一十(伝承)

02 / 竹迫日吉神社の楼門と国泰寺跡

1200年創建と伝わる社の楼門は、安土桃山〜江戸の作りと推定される。

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Photo by Motoki-jj (CC BY-SA 3.0)

竹迫日吉神社は1200年に竹迫氏の先祖が創建したと伝わり、社殿は宝永年間の再建と伝わります。南東そばの国泰寺跡では2020年の調査で、弥生後期の竪穴住居跡と13〜14世紀の堀跡が見つかり、竹迫氏の館跡の一角だった可能性が浮かびました。

  • 1200年 創建と伝わる
  • 楼門は安土桃山〜江戸と推定(市指定)
  • 国泰寺跡 弥生後期の竪穴住居跡

03 / 二子山石器製作遺跡

白川から菊池川までの約60か所に、この遺跡の石斧が分布する。

合志川がつくった標高約70mの丘陵に、縄文時代後期から晩期の打製石斧の製作跡があります。玄武岩質安山岩の周りに剥片や未成品が多く、完成品は少ないといいます。この遺跡を供給源とする石斧は、白川から菊池川の間の約60か所の遺跡で確認されています。

  • 国指定史跡(1972年指定)
  • 石斧の分布 約60か所の遺跡
  • 標高約70mの丘陵

くらし

2つの町が、2006年に1つの市になった。

  • 人口6万人規模

県都・熊本市の北東にあり、通勤通学に便利なまちとして人口が増えてきました。熊本電鉄の菊池線が通り、終点の御代志駅は、1986年まで路線が菊池駅まで続いていました。

住んでいる人
61,772人
2010

2015年より +5.8%

55,002 → 61,772人

面積
53.19km²

うち可住地 46.08km²

2024年

世帯数
22,283世帯

1世帯 2.8人

2020年

家賃(借家の平均)
5.1万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院5/診療所41

人口1万人あたり 7.4

2023年

面積53.19km²うち可住地46.08km² / 87%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 21園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの合志市32.886°N 130.790°E
東京大阪合志市
合志市の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

8.4km

菊陽町・菊池市・熊本市・大津町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

合志市は、こういう町です。

  1. 01竹迫城惣構え跡は、竹迫城の城下を取り囲む外堀の跡です。戦国時代末ごろに合志氏が築いたと考えられ、東西約1.7km・南北約1.3km・周囲約5.9kmに及び、1825年の竹迫城絵図にも描かれました。
  2. 02合志義塾跡のカタルパは、新島襄の苗が徳富蘇峰から平田一十へ渡ったと伝わる樹です。竹迫日吉神社の楼門と国泰寺跡の発掘、国史跡の二子山石器製作遺跡が、市の古い時代を伝えます。
  3. 03ほかに、古墳時代の石立石棺(ヒメツカ)、竹迫観音祭、ケヤキを一本くりぬいた平島の大太鼓、天女のお告げで弁財天が祀られたと言われる弁天山が、市指定文化財や市の公園にあります。

いまの町を、見る。

出典:Wikidata(P2002・P2003・P2013・P2397)

気になったら、町に聞いてみませんか。