01 / 堀川漕運の説論
年貢米を舟で運んだという町史の記事を、町は古文書をもとに誤りと認めた。

『大津町史』(1988年)に基づく、年貢米を上井手・堀川の舟で運んだという伝承。のち斎藤家文書から、大津手永が元治2年(1865)に「一度試してみたけど出来なかった、それ以後していない」と藩へ報告した『覚』が見つかり、町は2020年3月、舟運びは無かったと知らせました。
- 『大津町史』1988年
- 斎藤家文書『覚』元治2年(1865)
- 町の告知 2020年3月
01 / 堀川漕運の説論

『大津町史』(1988年)に基づく、年貢米を上井手・堀川の舟で運んだという伝承。のち斎藤家文書から、大津手永が元治2年(1865)に「一度試してみたけど出来なかった、それ以後していない」と藩へ報告した『覚』が見つかり、町は2020年3月、舟運びは無かったと知らせました。
02 / 阿蘇北向谷原始林

標高790mの北向山は、外輪山が白川の流れに削られた険しい斜面で、シイ・カシ・タブ・モッコクなどの常緑広葉樹が主です。町は、こうした自然が低地の身近なところに残るのは「全国的にも稀」と書きます。昭和44年(1969)に国の天然記念物に指定されました。
03 / 年禰神社の鯰の石絵馬
年禰神社は、江戸初期の上井手の開削で苦竹の村人が移された際、寛永8年(1631)に井手の北岸へ遷されました。宝永2年(1705)、苦竹町の住人が納めた方形の安山岩の絵馬に、一対の鯰が陽刻されます。町は「全国でも珍しい」と書き、上井手の安全を祈って阿蘇の神様を象ったのかと記します。
くらし
町公式は、町を熊本市と阿蘇山の中間にあると案内します。江戸期の大津宿は、豊後街道を熊本から参勤する第一泊の宿地として整備されました。町の文化財には、国の重要文化財の江藤家住宅、10年に一度の窪田阿蘇神社の御神幸祭、本物の牛1頭分の皮を使う大林の牛舞があります。
2015年より +5.2%
26,376 → 35,187人
うち可住地 50.18km²
2024年
1世帯 2.5人
2020年
全国平均 6.1万円
2023年
人口1万人あたり 6.8
2023年
この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。
かたち
南北のながさ
13.0km
区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。
気になったら、町に聞いてみませんか。