Hanaguri Ide(Baba Kusunoide canal) Kikuyo Kumamoto 2.jpg
よみもの

43404 / きくようまち

熊本県 菊池郡

菊陽町

岩の穴の渦が、土砂を吐き出すとされる。

馬場楠井手の鼻ぐり

Photo by Mizushimasea (CC BY-SA 4.0)

01 / 鉄砲小路

豊後方面の敵に備えつつ、未開墾地の開拓にあたった鉄砲衆の集落。

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Photo by MK Products (CC BY-SA 3.0)

豊後街道の北側に、地筒の者(鉄砲衆)が暮らした集落が造られました。守護神の蘇古鶴神社は寛永12年(1635)の勧請です。旧武家屋敷に約4キロの生け垣が整備されている、と町の文化財ツーリズムは案内します。

  • 生け垣 約4キロ
  • 蘇古鶴神社 1635年勧請
  • 地筒の者(鉄砲衆)

02 / 上津久礼の川施餓鬼

藩命で村ごと移り住んだあとも、受け継がれてきた川施餓鬼。

上津久礼は延宝6〜7年(1678〜1679)ごろ、藩命により村をあげて現在地へ移りました。町公式の説明では、8月19日の午後に各組が、麦わらで馬をかたどった「施餓鬼船」を工夫してつくります。

  • 町指定無形民俗文化財
  • 施餓鬼船 最大3m
  • 延宝6〜7年ごろ 村ごと移る

03 / 南郷往還跡

追分石に刻まれた文字は、「左おふつ、右まんとく」。

肥後の国府と阿蘇南郷を結んだ南郷往還の跡で、道明から高遊原台地に至る区間に約180mの石畳が残る、と町公式は記します。追分石の横には、享保11年(1726)建立の石地蔵があります。

  • 石畳 約180m
  • 享保11年(1726)建立の石地蔵
  • 町指定史跡(昭和54年)

くらし

町内を、井手が縦横に走る。

  • 人口4万人規模
  • 郡部の町

白川の水を使うには、上流から井手(用水路)で引く必要がありました。加藤・細川藩時代に作られた井手は今も現役で、堰や眼鏡橋は文化財として守られている、と町の文化財ツーリズムは案内します。

住んでいる人
43,337人
19952020

2015年より +5.7%

26,273 → 43,337人

面積
37.46km²

うち可住地 33.13km²

2024年

世帯数
17,794世帯

1世帯 2.4人

2020年

家賃(借家の平均)
5.1万円

全国平均 6.1万円

2023年

医療
病院5/診療所35

人口1万人あたり 9.2

2023年

面積37.46km²うち可住地33.13km² / 88%
面積と可住地を同じ縮尺でe-Stat B1101 / B1103
待機児童
—保育所等 15園
住宅取得補助
—
年平均気温
—

この3項目は全国横断のデータ源を探しています。推測値では埋めません。

かたち

4市町村に、接している。

日本のなかの菊陽町32.862°N 130.829°E
東京大阪菊陽町
菊陽町の領域
境界:国土数値情報 N03

南北のながさ

8.3km

合志市・熊本市・大津町・益城町

区間ごとの所要時間は公式に記載が無いため、出していません。

菊陽町は、こういう町です。

  1. 01馬場楠井手の鼻ぐりは、農業用水路の岩盤に壁を残し、その下をくり貫いた穴です。水流が穴の壁にぶつかると、渦を巻いて土砂と一緒にはき出される仕組みとされ、熊本県史跡に指定されています。白川流域のかんがい用水群は、2018年に世界かんがい施設遺産に登録されました。
  2. 02豊後街道の北側の鉄砲小路は、地筒の者(鉄砲衆)が暮らした集落です。守護神の蘇古鶴神社には、町内唯一の楼門があります。
  3. 03村ごと移り住んだ上津久礼には川施餓鬼が、道明には南郷往還の石畳と追分石が残ります。馬場楠の獅子舞は、町では馬場楠地区だけに受け継がれ、津森神宮お法使祭の神事で舞われます。

気になったら、町に聞いてみませんか。